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2018年03月24日12:23

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何でもハラスメント?マナー・モラルはどこいった?

そもそも日本でのハラスメントは基本、

  「社会的に対策が必要とされる程に問題視される行為」

だった。それが「セクハラ」そして「パワハラ」だ。

調べて出てくる「嫌がらせ」や 「相手が不快に思う事」という意味と合ってはいるが、その意味に照らし合わされる行為全般を指していたら、殆どがハラスメントだ。

■マナーやモラルではダメなのか?

以前まで日本では、対策ではなく、お互いが相手を思い遣って行動する「気遣い(マナー)」と、恥ずかしい行為だからやめるべきとする「道徳観(モラル)」で、暗黙とまではいかないが、多くの人がおのずと成り立たせていた。

前述したように、日本におけるハラスメントは、単なる「嫌がらせ」ではなく「社会的な対策」といっていい程に懸念すべき大きな問題として扱われてきた。その為、他の些細な行為までハラスメントと言い出すと、

 「些細な行為」を「大きな問題」として扱う

ようになってしまう。現に一部ではあるが、声高に「〜ハラスメントだ」として騒ぎ立てる人達はいる。

そして「ハラスメント」という言葉を使うだけで、その案件がどうでもいい人や、自由と権利をはき違えた人、自称人権派、その言葉には頷く事が正しいと深く考えられない人などが安易に賛同するため、大きくなっていく。

本来はマナー・モラルの概念で済むような話であってもだ。

今では些細な事がハラスメントになる。

・「女性らしい(男性らしい)」と表現しイラッとこられたら「ジェンダーハラスメント」
・「(独身者に)結婚しないの?」と尋ねイラッとこられたら「マリッジハラスメント」
・「A型は几帳面だから」と言いイラッとこられたら「ブラッドタイプハラスメント」
・仕事でエアコン前の席にして風があたりイラッとこられたら「エアハラスメント」
・大学で生徒が教師に不利益な対応をされたと感じたら「キャンパスハラスメント」
・機会に疎い人に(その人が知ってるかどうか分からないが)うっかり専門用語を言ってイラッとこられたら「テクノロジーハラスメント」
・年齢を聞いて相応の仕事を与えたつもりでも侮辱されたと思われたら「エイジハラスメント」
・「女性のネクタイ姿ってかっこいい」と褒めても、LGBTの誰か(関係ない他人であっても可)が不快に思えば「ソジハラ」
・交際相手に「結婚したい」と何回か口にしたり結婚情報誌を机の上に置いていただけでも「結婚を執拗に迫られてる」と感じられたら「ゼクシャルハラスメント」

本当に対策が必要だったり、みんなで真剣に考えるべき事案のこともある。
だが、まだまだあるとはいえ、少なくとも上記のハラスメントは「ハラスメントである」として主張して対策せねばらなない案件なのか。


■馬鹿馬鹿しさの象徴「ヌーハラ」

特に「ヌードルハラスメント(ヌーハラ)」は最も馬鹿らしい。

理由は「猫舌の人や外国人に不快感を与える」というもの。

おかしな話ではないか。猫舌の人を馬鹿にした風潮がある訳でもないし、そもそも外国人に関しては国や民族、文化、時代、宗教と多々違いがあり、価値観や捉え方による違いがある。

ある国では美徳とされていることが、他の国では不快に思われることもある。日本では食事の際に飯椀を持ち上げて食べることが一般的だが、諸外国では逆に皿を食卓に置いたまま箸や匙、フォークを用いるのが一般的で、食器を持って食べると「乞食のようで卑しい」と批判される。

だから他国ではマナーの観点から、そういった行為をすれば嫌がられるし、来訪する人がきちんとマナーに沿った行為をすべきで、多くはそのようにしている。

それなのに、何故日本だけが自国のマナーを曲げてまで外国人に配慮せねばならない?それは「おもてなし」ではなく「媚びへつらう」という。全く以ておかしな話だ。

それをハラスメントとして「不快に思う人がいるなら止めるべきだ」としていいのなら、私は皿とナイフやフォークがカチャカチャいう音が昔から嫌いだったので、諸外国に「ディッシュサウンドハラスメント(ディシュハラ)」と主張し、そこに住む人たちに止めるように言うが?

外国人がパスタをブチブチと食いちぎって更に落とす行為が見ていて不快なので「パスタハラスメント」と主張するし、ハグやスキンシップと称して親しくない人でも体に触れられる行為が不快なので「ハグハラスメント」と主張する。

まあ、個人的に実際不愉快に思っているのは事実であっても、私はこんなバカげた主張は一切しない。だが、彼らの言っている事は、つまりそういう事だ。

■少数派の意見を聞くにも限度がある

ヌーハラには「麺をすするという行為に批判的な意見も一定数存在する」という少数派の意見(というか意味)もある。

確かに少数とは言え、不快に思われる行為でどうしてもしなければいけない訳でもないならしないに越したことはない。

だが、どうあれ一般的に社会では大多数の意見が尊重される。誰もが何かしら不快に思う事など恋人や家族間、親友同士であってもあるのだ。個々人の誰もがその「不快」をハラスメントとして口にして辞めさせる方向性を持っていいなら社会は成り立たない。

だからと言って少数の意見を無下に切り捨てて良いかと言われればそうではない。だからこそ医療関係のようにある意味「大事」な優先させるべき少数への対処も必要だし、それが大きな問題か早急に必要な件なのか、などは重要だろう。

だが少数の意見はあくまでも少数として聞く分にはいいが、基本的には多数の意見が採用され、都合よくはいかない事を少数派や自由と権利をこよなく愛す自称人権派は理解すべきだと思う。

■何でもハラスメントと言う前に

例えば、息が臭い人がいたとして、本人はその臭いが分からないのだから誰かが言わないといつまでも改善はしないし、本人も気づけない。

言いづらいのはその通りだが、本人だってそれを知れば恥ずかしくなり対処するだろう。

単なる「スメルハラスメント」と非難するより、話し合い、または意見する事で改善する事も多々あるし、中には「不快に思う」人の我儘さであるケースもある。

日本において「ハラスメント」は本来の意味以上の深刻さを与える言葉だ。

何でもハラスメントと付けて非難する前に、「マナー」や「モラル」というものをもっと考えて、言うべきこと、態度で示すこと、我慢することなど分けて対応してはどうか。


■気になる職場での「音」ハラスメント。自覚を持つことが改善への第一歩!
(JIJICO - 03月24日 07:31)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=180&from=diary&id=5040379
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