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2018年03月03日13:02

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いつか。。。(長文です)

主人の父が亡くなりました。

2月11日の日曜日のことでした。

12月ごろから横になって、店の奥にいた義父。
1月に雪の降った次の日から、風邪気味になり寝込んだままになった。

父は慢性腎不全、片方の腎臓は10数年前に手術でとり、お酒は飲むのを禁止され、それでも好きだからやめれなかった。
認知症になり、白内障の後遺症でほとんど目は見えず、それでも医者が嫌で絶対に入院や検査を拒んだ。

93歳という年齢だから、主人の姉も妹も、母も…
義父の『畳の上で死にたい』という意志を大事にした。

私もそれは従って、自宅介護を選んで、畳の上で介護した。
でも3階の家への階段は、私の左の膝を悪化させて、階段の降りることがとてもつらく、畳からの立ち上がりもつらかった。

まっすぐに伸びなくなった左の膝。
今も足の指がしびれている。

義父を理解できたと思ったら、結婚して20年以上経っていた。

最後に義父と2人で話したのは、店の奥の部屋、12月の暮れ近くだったように思う。
その前の8月ごろから、私はほとんど毎日のように店に出ていたので、義母もいる中で、あまり話はしなかった。

義父『うちのかーちゃんは、どうしてあんなに何もできないのだろう?』
私 「は?お義母さんが心配なんですか?」

『何年俺と一緒に店をやっていたんだ?全く計算も何もできない…』

要は店の経理、経営、仕入れ、銀行の口座などの管理ができないという事である。

「お義父さん、お義母さんがそれを心配しないで、やってこれたのはお義父さんが一生懸命頑張って店を維持して経営したからではないのですか? 大変でしたね。」

苦笑いする義父。

「そんなにお義母さんが心配ですか?
でも、心配しすぎると伯父さん伯母さん達やご両親が迎えに来た時に、一緒に行けませんよ。
。。。お義母さんには、○○さん(主人)がいます。お姉さんも○○ちゃん(妹)もそれぞれのご主人も付いています。
もっと○○さん(主人)を信用してください。
決して、お義母さんを路頭に迷わせるようなことはしませんよ。」

『……そうか?』
「はい、そうですよ。それに○○さん(主人)さんには、根性の悪い妻がついてます。
大丈夫です〜〜≪笑」

義父は、声を出して笑った。

2月25日やっと義父は、荼毘に付されお骨になって家に連れ還ることが出来た。。
もう高齢だから、人工透析もシャントが取れずできない、認知があるから、点滴も危険があるからできない。
ただ苦しくないように、残り少ない命を見守ることしかできなかった。

主人は亡くなる4・5日前から義父の隣で休み、11日の朝6時ごろ父が手を伸ばしたので、手を握った。
温かかったが、すぐに払われてしまった。
その後、朝の8時ごろ手を握ったら冷たかった。。。

寝ている間に逝ったのだ。

救急車を呼ぶことは辞めるように言われていた。
救急病院では救急が優先される。
あんなに嫌っていた病院で、直接人工透析を無理矢理抑え、管につながれ、延命措置に入る。

これは一種植物人間になることを意味していて、家族はとてもつらい思いをその時も、命が終わるときも決断しなくてはならない。
義父の意思を全く反対の方向に持っていくことになる。

義父は畳の上で、家族皆に看取られ(医者が来て死亡告知を受けた)、本当に親しい家族だけで自分を送って欲しい。

そう、生前からいつも言っていたので、その希望通り最低限の親族(甥と姪)を田舎より来てもらって、送ることが出来た。

主人はサラリーマン。私は主婦。
今後主人の母と姉妹で父の相続を話してもらうけど、私は権利がないから何も言わない。
店の店主をどうするか、たぶん私がならざるを得ないだろう。

義父が一代で築いた酒屋、地酒専門の店。
細々と主人が定年を迎えるまで、義母と守っていきたい。

まだ気持ちの整理も付かない。義母は認知症。
今回のことで、一人にはできなくなってしまった。

これからどうすればいいのか、この後私はどうするべきなのか。
まだまだ心は落ち着かない。。。

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