下記は、2018.2.26 付の産経ニュース【古典個展】です。
記
平昌五輪が終わった。もっとも、老生、スポーツについて何の関心もないので、世間の騒ぎとは無縁。
しかし、このオリンピック周辺の或(あ)るできごとに、関心を抱いた。それは、北朝鮮から送り込まれた女性団のことである。
新聞の伝えるところによれば、女性が多数で中心の三池淵(サムジヨン)管弦楽団(9人の女性歌手を含む)略して芸術団、ならびに女性ばかりの応援団、称して美女応援団、この芸術団・応援団の両者に対して、韓国人は魅了され、大歓迎であったという。
その証拠に、例えば、芸術団の公演会場一般席千人分のチケットに200倍とか300倍とかの申し込みがあったという。
また、スタンドに陣取る応援団の行動に熱い視線が向けられたという。
しかしこうしたできごとを伝えるメディアは、ことごとに「美女」という語を冠していた。しかし美女、美女というから、どんな美女かと思ったが、何のことはない、その辺にいる女性らとさして変わりはない。
それはともかく、ともあれ美女なんでしょう。美女と楽団とが北朝鮮から韓国へ送り込まれてきたのである。
このできごと、近ごろのことばでいえば、老生に〈既視感(デジャビュ)〉を与えた。すなわち、かつてどこかで視(み)たようなできごと−老生、日ごろ親しんでいる古典『論語』の中にそれはあった。
今から約2500年前、孔子は、魯(ろ)国に生まれ育った。成長後、政治家となり善政を布(し)くことによって、人々の幸せを実現しようとした。
いろいろ苦労があったが、50歳を超え、閣僚となり、天命の重さを知った。そこで全力を尽くしたので、人々は誠実となり、しだいに魯国は強国への道を歩むようになってきた。
これが面白くなかったのが隣国の斉(せい)国であった。いつの時代でもそうだが、隣国が強くなることは好まれない。
そこで斉国は、孔子のまじめ路線の妨害を図った。すなわち華やかな衣装をまとい、音楽に合わせての舞踊に巧みな美女80人に加えて立派な馬の4頭立(だて)馬車30台を魯国に贈(おく)ったのである(『史記』孔子世家)。
この美女歌舞団は、魯国の首都郊外でにぎやかに開演した。ぱっとその評判が立ち、魯国の人々は魅了され大人気。
それを伝え聞いた首相格の季桓(きかん)殿は、人目につかないように、わざと粗末な服装で観(み)に行き、なんと3日も仕事を忘れ、政庁に現れなかった。
孔子のまじめ路線はこうして崩れゆく。孔子は辞職し、理想政治の実現場所を求めて長い流浪の旅立ちとなった。十数年。
現代韓国人の北朝鮮美女歌舞団への熱狂ぶりは、右の故事と重なる。北朝鮮に追従する文政権に批判的なまともな人々には居場所がなくなり、韓国の理想のありかたをもとめて苦難の旅がこれから続くことであろう。
『論語』微子(びし)篇に曰(いわ)く、斉人(せいひと)(斉国)女(じょ)・楽(がく)(楽団)を〔魯国に〕帰(おく)る。季桓子〔は〕之(これ)を受け、三日(みっか)朝(ちょう)せず(政庁に現れなかった)。孔子行(さ)る、と。 (かじ のぶゆき)
http://www.sankei.com/column/news/180226/clm1802260007-n1.html
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