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2018年02月19日15:04

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瀬戸内の「入江のほとり」の生と死

正宗白鳥『何処へ・入江のほとり』(講談社文芸文庫)の四作目「入江のほとり」は、瀬戸内沿いの田舎町に帰省する長兄と郷里の父母弟妹をえがき、つづいて「今年の春」は父を見送る光景、「今年の初夏」は母の死、「今年の秋」は次弟の死、最後に「リー兄さん」は“変わり者”の四男の死を題材とした作品である。

私も瀬戸内の小さな町に生まれ育ち、東京に暮らすようになってから、病に伏す母を見舞って幾度となく郷里を往還した。といっても、一晩かかる往年の寝台急行ではなく、3時間余の新幹線だから随分ラクな旅であった。そのあと父を見送り、最近、弟の急逝にも遭遇したので、白鳥の小説を読むのは初めてだが、他人事ならぬ思いであった。

帰省した長兄は、郷里に暮らす変わり者の弟を誘って後ろの山に登る。山頂から「曲りくねった海を越し山を越して、四国の屋島や五劔山が幽かに見える」のは、私の郷里も同じで、子供の頃から後ろの禿山によく登って遊んだが、今では緑に覆われている。眼下にコンビナートが広がって、黒煙を吐くようになり、毎夏遊んだ海水浴場が消えたのは何時頃からだったろうか。墓地は同じく山の下にあった。

「不漁つづきで、海鼠(なまこ)や飯蛸(いいだこ)などの名産もあまり口に入らないし」と言い訳して、長兄は「都の小さな借家へ帰ろうとした」のであるが、確かに子供の頃に頬張った飯蛸は、口の中で飯が飛び散るような食感が嬉しかった。今では高級料亭でもお目にかかることは絶えてない。長兄は「東京で暮すよりゃ田舎に住んで居る方が仕合せだと、よく手紙に書いて来る」のだが、そういう感想がかつて幾度か私の胸中に湧いたことも、白鳥の文にふれて蘇ってくる。歩んで来た道を引き返すわけにいかないのは、主人公の長兄と同じである。

「今年の春」の父、「今年の初夏」の母の死を看取って、白鳥は「私が長年学んだ哲学も宗教も、或いは詩も文学も、要するに空言であって、究極の真実を今の今私はこの遺骸から教わっているのであるか」、すなわち「私は年老いて、この遺骸の側に正座して、はじめて無言の痛烈な教訓を受けている」と思い知るのである。

「今年の秋」は、最期を前にした次弟Aの息子夫婦から、父親に洗礼を授けに来た牧師が「これで天国に行けますと仰有いました」と聞き、「私」は「童話見たいな面白さを感じ」つつも、「押し付け洗礼にしても、死の悩みの和らげられそうに感ぜられた」。のちに、葬儀は「先祖伝来の仏式」で行なわれた翌日、「正式に追悼ミサ葬儀ミサが行われた」と伝え聞いた「私」は、「押し付け洗礼にしても、彼は何かしら有難い思いをしたにちがいない。そうすると、私よりもAの方が仕合わせか」と自問するのである。

父母の死をおくる頃は、「哲学も宗教も……要するに空言」としていた白鳥は、次弟や「リー兄さん」の死を弔う頃には、みずからの死も視野に入っていただろうが、いかなる死生観にたどり着いたのだろうか。

「リー兄さん」と言っても実は四男であり、変わり者の「この男一人が妻子もなく定職もなく、孤独貧窶(ひんる)の生活を続けて来た」のであるが、昔、父親が出世頭の長男に向って、「お前はリーに似ている」と言ったことがある。その言葉を聞いて長男は、「ただ運次第で、彼の生涯が我の如くであり、我の生涯が彼の如くであったのか知れない、と思ったりしていた」と言うのである。果たして「運次第」で片づくわけではあるまい。

リーは田舎で「十余年の間入浴をしないような不潔生活」をしていたが、病んで亡くなる寸前、実家の管理人を務めていた主婦に宛てて「いろいろお世話になりました」と遺言状に書いていた聞いて、長男の「私」は「リーがそんな事を云うのは意外だ。死ぬる時にはそんな気になるものかなあ」という感想を抱くのであった。
白鳥は、人生の「究極の真実」は何んだと見ていたのだろうか。
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