近年、注目を集めているAI。
昔、人口知能と言っていたものだ。
ドイツでは2011年に「インダストリー4.0」を発表。
AIを用いた製造業の革新を発展目標に掲げた。
アメリカのインダストリアル・インターネットも同様。
そして中国は中国製造2025を提唱している。
メイド・イン・チャイナ2025と訳されるコンセプト。
2049年の建国100年迄に世界の製造大国になる事を目標。
現状、中国は、まだ「世界の工場」に過ぎない。
ローエンドの技術の下請工場である。
これをハイエンドの技術の発信基地にしたい。
それにより経済成長と治安を安定化させたい。
そういう希望なのだろう。
しかし、そんなに上手くいくのだろうか。
そういう漠然とした不安は残る。
かつて『2001年宇宙の旅』という映画があった。
HALというAIコンピュータに管理されている宇宙船。
そのHALが乗組員を殺していく話だった。
AIは、人を単純労働から開放する。
そう、推進者は提唱する。
しかし、庶民は皮膚感覚でそれを疑問視する。
考えてみて欲しい。
今まで技術革新は人を幸福にしただろうか。
洗濯機の開発で、手洗いの面倒から開放された。
冷蔵庫の開発で、食料の備蓄が容易になった。
PCの開発で文書処理が飛躍的に早くなった。
でも、時間が豊かになった実感はない。
むしろ、更に時間に追われているように感じる。
AIは人を単純労働から開放したりしない。
むしろ人がAIから追放されるのではないか。
人よりAIの方がミスが少ないのだから。
いずれ人がAIに淘汰される日がくる。
映画『マトリクス』みたいに。
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