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2017年12月01日19:06

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「もっともそうな一週間後の言い訳」。

■「子育ては社会的な問題。個人の問題にしないで」 子どもを連れて議場に入った緒方市議の思いと今後
(キャリコネ - 12月01日 14:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4884242

ま、一週間くらい経ったら出るよね、
こういう「もっともらしい」弁明。

別に、子連れがどの職場(安全管理面や
衛生、危険の有無、子供に適した
環境か否かの判断の正当性など、
考えなければならない事は山程あるがね)
でも常識になるのは悪い事では無い。

だが、それには問題がある。
このニュースが流れた時に、カウンタとして
海外の地方議会の議員が子連れで出席して
いる画像が広まったが、そもそも凡その
地方議会は薄給、乃至はボランティアで
ある事が多く、一般的サラリーマンより
高給を支給されている日本の議員とは
条件が全く違う事は考慮されていない。

例えば、ドイツのアウトバーンを疾駆する
ベンツの写真を見せられた処で、
日本の高速道路で時速300キロで
走る事は正当化されない。

条件が違うのだ。

その条件を強行突破しようとした、
のが今回の騒動らしいが、根本的な
問題として、「議員がそれをするに
相応しいか?」は問われねばなるまい。
この過程が余りに薄弱だ(議会の
親子傍聴の許可を求めたらしいが、
それと議会に参加する事は余りにも
異なる)。

熊本市のHPでは待機児童はゼロらしいが、
「隠れて」困っている人が多い、とも
云うが、それも「議会に子連れで出席する」
事との関連性は、無い。

「自分がこうするのが他人の幸福に
寄与する」という事も現実に
あり得るだろう。
だが、「必ず幸福になる」と決め込むのは
違う。それは自らの幸福しか見ていない。
「他人の幸福」をダシに自分の欲求の
実現を図るのは、意地汚いだけ。
だからこそ、当初は「子供と離れたくない」
と語っていた筈の動機が、このニュースで
語られているような「高邁な思想」に
進化する必要性があったのだ、という
事は簡単に得心がいく。

議員であれば、踏まねばならない
順路がある。それをしないで
示威行動に走るのは、端的に云って
パフォーマか活動家だ(そして、その
両要素は両立出来る)。
「故ある批判」を「子育てへの無理解」に
変換するのははっきりと無理であるし、
この議員の「一人の示威行動」が、
何を産むか、というと精々「熊本市議会
での『例外的』子連れでの参加」しか
無い。何故なら、この議員は発議した
訳でも立法化を目指した訳でも無いから。
これが自己の幸福の追求で無くてなんで
あるか?

「私は突破出来たから、皆さんも職場に
無通告でドンドン子供を連れて行って
既成事実化するといいよ」

という勧めであるならば、これは
矢張り活動家の所業である。

繰り返す。

議員が遵法せず、誰にそれを行なわせる
事が出来る?

法を作るのも、議員、議会の仕事なのだ。
活動家には、それは出来ない。


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