目をかがやかせるのは子どもより大人たちの方ではないか。
との書き出しの今朝の天声人語
愛知県豊山市に開館する「あいち航空ミュージアム」でYS11を見た。という文である。
占領下で許されなかった航空機開発が7年ぶりに許されたのは1952年。
「航空業界で7年の遅れは致命的。車やバ゛スは作れても旅客機には製造ノウハウがない。
国産なんてできるのかと半信半疑でした」と語るのは、
尾翼を設計した技術者鳥養鶴雄さん(86) 、などと続く。
YS11は出雲への帰省時に、JAS(当時はTDAだったか?)に優待券を貰ってよく乗った。
ある時、よく肥えた重そうなおばちゃんたちの団体で満席となったYS11。
風が強くてジェット機では考えられないほどの揺れ。
でも、ジェット機よりは安全との話を信じて過ごした1時間であった。
YS11は182機が飛び立つも採算が合わず、73年に製造ラインが止まる。とあるが、
次の国産機MRJはいつ飛び立つのか?
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