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2017年11月25日07:38

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【伊勢真一監督密着記4】伊勢真一監督、単独インタビュー完全採録2〜わかろうとする姿勢・考えようとする姿勢〜@2017年10月28日)

 伊勢真一監督取材記は、本稿がオーラスとなります。

 

 ドキュメンタリー映画作家の伊勢真一監督最新作『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年』が、現在、大阪、名古屋で公開中です。大阪では12作品を揃えた特集上映も同時開催中。(東京上映は終了)

 今回は、どこのメディアにも出ていない単独インタビューの模様をお届けします。

 お読みいただけると幸いです。



【伊勢真一監督、単独インタビュー完全採録2@2017年10月28日)】


MASA:「伊勢監督は、作品については観た方の解釈に委ねるというスタンスでいらっしゃいますから、個々の作品に深く触れる質問は避けまして…… 別の角度からお尋ねします。今回、10作品以上を集めた【伊勢真一監督作品特集上映】が開催されますが、<監督から見た伊勢真一>とはどういった人物ですか? また、44年に及ぶキャリアの中で御自身や作風が変容したという部分はありますか?」


伊勢監督:「そうですね…… うーん…… 僕はですね<自分の事がわからないというタイプの人間>です。『自分自身の事が一番よくわかっていないなあ』って。例えば、『自分はこの事が好きだ』と思っていても、ふと、『ホントに好きなのかな?』と思う事がある。あと、『嫌いだ』と思っていた人や物事に実際に触れた時に、『案外、そうでもないな……』と感じることも少なからずあります。そういう事を何度か経験していると、<それまでの自分>について僕は考えるんですよね。<わからない自分>を、そのままにしておきたくはないですから。色々な人にあったり、物事に触れたりした時に、<考える機会>を与えてもらっているというか。でね。ここで<わからないことについて考えるということ>は、つまり<自分自身が自由になること>だろうとも思うんですよ。そうして、他の人や物事の存在を受け容れていくことで自分自身を確認していくというか。その中で<自力と他力>の存在に気付いて。それでも、やっぱり、現在でも僕は自分の事がよくわかっていない人間だと思っています」


MASA:「その『わからない』という感覚が迷いに繋がる事はありませんか?」


伊勢監督:「ありますよ。迷ったり、悩んだり、ね」


MASA:「その迷いが作品に表れる事もありますよね? これは私の個人的な見解ですが、小児がんについての2作品。『風のかたち-小児がんと仲間たちの10年-』(2009)と、『大丈夫。−小児科医・細谷亮太のコトバ−』(2011年)を拝見した時に監督の迷いが見えたように感じたんです。特に『大丈夫。』は、撮っている時も、編集している時も、相当に迷い、葛藤もなさったのではないかと」


伊勢監督:「あはは(笑) そうなんですよ。完成という一つの区切りはつけないといけないけれど、仰る通りね、ずっと迷ってました。その迷いは、はっきりと作品に表れています。仰る通りですよ。あと、撮影が思ったように進まない時…… そうですね。例えば奈緒ちゃんを撮っていて、僕は『こっちに来てほしいのに(奈緒ちゃんが)来ない、来ない……』と。『フィルム代も掛かるし、時間も掛かるし……』ってなっている(笑) でも、それって、『来る』と思っているのは僕で。結局は『来てほしい』っていう僕の我儘なんですよね。ではそこで、『コッチに来て』と奈緒ちゃんに言って来てもらうのは違う。あと、コッチじゃなくてアッチに行ってしまった奈緒ちゃんを撮ろうと思えば、キャメラをそっちに向ければ画は撮れるんだけど、僕は『それは違うな』と。フレームの中に入れてしまう事はとても簡単な事だけれど、そうする事は作為の塊でもあって。それは<枠の中に入れてしまうという事>でしょう? それは、僕は『したくないな』と思って。その中で<撮れないことに気付く画を撮るということ>も大事だなと。これは初長編作品の『奈緒ちゃん』を撮っている時に思って。以降、僕のスタイルになっていると思うんですよ」 


MASA:「なるほど」


伊勢監督:「あと、奈緒ちゃんだけではなく、僕の場合、作品を撮っている時に<自然であること・自然で居ること>の、その素直な姿の尊さ、っていうのかな。そういうことを、障がいや病気といったハンデを持っている子たちが教えてくれるんですよね。そういう画が実際に僕の作品には収まっていると思います」


MASA:「監督の作品は、『ほとんど無添加だな』と思うんです。作為的に過ぎず、極力、ありのままを撮っていらっしゃるな、と。もちろん、編集も含めて演出が皆無なんてことは有り得ませんが、恣意的な誘導は避けているな、と。その分、粘らなくてはいけないので時間が掛かると思うのですが、それこそが伊勢スタイルですし。思うように撮ろうと思えば撮れるのに、敢えてそれをしないという…… って、誘導して撮る事は簡単ですよね?」


伊勢監督:「簡単ですよ。はっきり言って編集でどうにでもできちゃいますから。でも、それはしたくないし。だから撮影にも編集にも時間が掛かるんだけど。僕も大変だけど、スタッフはもっと大変だろうなあ、って。特に編集中は『いい加減にしてくれ』と思われてるんじゃないかな(笑)」


MASA:「ここで最新作『やさしくなあに〜奈緒ちゃんと家族の35年〜』(2017年)について少し触れたいと思います。途中、奈緒ちゃんがてんかんの発作を起こす場面がありますね。これまで、奈緒ちゃんは、1作目の『奈緒ちゃん』(1995)から、ずっと。撮影中にはてんかん発作を起こさなかったと聞いています。監督やスタッフの方が帰ってから発作を起こした事はあったそうですが、撮影中は30年以上に渡って一度も発作を起こさなかったと。ズバリお尋ねします。本当ですか?」


伊勢監督:「うん。本当です。本当に35年間、奈緒ちゃんはキャメラの前で発作を起こさなかったんです。あと、作品(=シリーズ)のコンセプトが【元気な奈緒ちゃんを撮る】だから、僕とスタッフの間では、あらかじめ『発作が起きたら撮るのを止めよう』、『撮っても、その様子は使わない。見せない』と取り決めていて。でも発作を起こした。タイミングの悪いことに、その時、奈緒ちゃんのお母さん(=西村信子さん。監督の実姉)が居なくて。僕らは、ただオロオロするばかりで。その中で撮ってはいたんだよね。止めようかと思ったけれど、止めませんでした。ただ、作品にその場面を入れるかどうかについては、編集時に迷いに迷いました」


MASA:「【元気な奈緒ちゃんを撮る】というシリーズのコンセプトにも反しますよね。そこで結果的に、その場面は作品に盛り込まれたわけですが、その決め手となったのは?」


伊勢監督:「奈緒ちゃんが35年の間でキャメラの前で初めて起こした発作。これはね、奈緒ちゃんが『この姿も私。ちゃんと撮って欲しい。ちゃんと見て欲しい』と言っているんだ、と思ったんです。ずっと切るか切るまいか、悩みに悩んだ末に、『あ! これは奈緒ちゃんのメッセージなんだ!!』って」


MASA:「なるほど。あともう一点。2016年。昨年ですね。<相模原障害者施設殺傷事件>が起きました。その事について語る信子さんの姿も収められていますが、これは追撮ですよね? 本撮影は既に終了していて、事件発生時には編集中だったはずですから」


伊勢監督:「あの事件が起きてしまった事で、僕の中で一つのスイッチが入ったんです。信子さんもキャメラの前で話してくれたしね。だから、今回の作品は、これまでの3作品とはトーンが違う部分があるんですけど、奈緒ちゃんの発作と、あの事件については入れなきゃと思いました」


MASA:「相模原事件の犯人の主張は『障がい者は、この世に居てはいけない』というものでしたが、それを知った時、私が思いだしたのは、20年近く前の大阪・阿倍野での『えんとこ』(1999)の上映会。その上映後に行われたティーチインの光景でした。『えんとこ』の主な被写体は、監督の御友人で全身麻痺で寝たきりの遠藤滋さんですが、男性観客が、遠藤さんを指して、『この映画の主人公のような障害者は生きている価値が無い。殺してあげなくてはいけない』と。直後に女性観客が『あなたは何を言っているの!? この映画は寝たきりの障がい者の方が、看護にあたっている若い人たちを育てている部分もあるっていう映画じゃないの!!』となって、喧々諤々。私は、まだ若くて『なんか怖い…… 大人同士で言い合いしている。喧嘩? 怖い……』と怯んでしまって何も言えなかったんですけど、以来、ずっと、事ある毎に、あの様子を思い返しては考えを巡らせて来たんです」


伊勢監督:「え? あの時、居たの?」


MASA:「はい。一応、エエ」


伊勢監督:「貴方も長いんだねえ(笑)」


MASA:「はい。『奈緒ちゃん』と『えんとこ』。あと、佐藤真監督の『阿賀に生きる』は、私のドキュメンタリー映画鑑賞の原点となった大切な作品です。さて、話を戻しまして。約20年前の『えんとこ』上映会時に飛び出た発言と、相模原事件の犯人の主張はほぼそのままですよね。『かわってないなあ……』と……」


伊勢監督:「そうなんだよね。社会の根底には、<生産しない者に対して非常に冷淡であるという意識・思考>が、ずっとこびりついていると思うんです。でもね、『障がい者が何も生産していないか?』というと、そうじゃあないし、障がい者が教えてくれる事も沢山あります」


MASA:「<明日は我が身>、という部分もありますしね」


伊勢監督:「ホントだよね。そうですよ。でね。あの植松君という青年が実行に移してしまった事は、決して許されない事だけれど、植松君の主張と同じような思いは社会のどこかにずっと潜んでいます。一方、被害者側。あの事件の被害者側には<無数の奈緒ちゃんの家族>が居るんです。そこを、ちゃんと見る事が相模原事件後に踏み出すべき第一歩だと思います。被害者の実名を出すとか出さないとか、そういう事では決して無くてね。事件の本質はそんなところに無いですしね」


MASA:「同意します。しかし、あれだけの大事件でありながら、しかも、事件発生から一年と少ししか経っていないにも関わらず、既に事件の存在を忘れてしまっている方が少なくないですね。風化が既に始まっていることに驚いています。報道の姿勢にも問題があると、私は思いますが……」


伊勢監督:「多くの人々が…… いや、日本の社会そのものが、とても短絡的になっていると思います。自分で考えるということをせずに、思考停止の状態で、答えだけを急いで求めるという傾向が強まっていて。そして、誰かをスケープゴートにしてしまう。そして自分と切り離してしまって、そこで完結してしまう、という」


MASA:「入って来る情報を鵜呑みにしてしまうから、そうなるんですね。入って来る情報を事実だと信じてしまう。事実であるかどうかの確証など無い状態なのに、それを確かめもしない。そして、考えもしない。終始、受け身という姿勢・状態の中で、咀嚼もしなければ、正しく理解する努力をしない。その中で、物凄いスピードで情報が消費され、流れていく。そして、また新しい情報が入って来る。表層だけが慌ただしくて、核はなかなか見つめられないという状況があるように思います」


伊勢監督:「そこで作用しがちなのは固定観念であったり、あと『これは特別な事であって、自分とは関係が無いんだ』という意識であったり、ですよね。そして報道。特にテレビのニュース番組の作り手にはね。『情報も商品になる』という意識がある。そうじゃない作り手も居ますよ。けれど、数字…… 視聴率ですね。視聴率至上主義が大勢を占めていますね。となると、スキャンダラスな要素が無いと受けない、と考えるわけですよ」


MASA:「報道のワイドショー化。時にはバラエティ番組に見える物もありますね。嘆かわしいことに」


伊勢監督:「報道がそんなだから、<普通を誰も教えてくれない>という状況が生まれてしまっているんです。報道する側が観る人のことを信じていないんですよね。一方でね、情報の受け手たる人々にとって重要なことだと僕が思うのは<『わからない』というのは、とても大切なことなんだ>という事です。<わからないから考える>となるわけでしょう? そして、そこで考えるのは、素材が何であれ、つまりは<生きる事の中身>ですよ。<自分なりに、どう生きていくか?>という事ですよね。外見は色々で良いと思うんですけど、ちゃんとした中身が無いといけない。その、ちゃんとした中身を育むためには、<わからないから考える>ことが、とても重要なのに。それなのに、<『わからない』ということはいけない>という風潮もありますね」


MASA:「『わからない』は悪いことでは無いと考えますが、それを『考える』に繋げず、答えのみを性急に求めるというのは大きな問題だと感じます」


伊勢監督:「例えば、紀一(のりかず。奈緒ちゃんの弟)の話を聞いていて。彼もうつになったり、色々あるんだけど。のり君の話を聞いている僕もね。『大丈夫』とか、『そうだよな』とか、わからないなりに何か言うわけです。『何とわかりづらいことを言う奴なんだ……』と思いながらも、ね(笑) でも、その後ね。『何がしかの言葉を掛けた以上は、彼が言っていた事柄について考えなくちゃいけない』って。だから、考えて、考えて。なんとかコミュニケーションを図ろうと。そうしている中で気付いたのが、<弱いということは優しいに繋がる>ということです」


MASA:「<弱いということは優しいに繋がる>…… なるほど!! それこそ、監督の『自分の事が一番わからないから考える』というスタンスが導き出したものですよね」


伊勢監督:「そう言ってもらえると、ね。そうだといいなあ(笑) あと編集をしながら『これは重要だ』と思う事があるんですけど、<迷い>って大事ですよ。テレビに出てくるインテリのジャーナリストやコメンテーターは、基本的に的確な発言をしますよね。的確でなくても、少なくともパパッと見解や意見を述べる。でなければ登場して来ない、使ってもらえない。けれど、普通の人は大抵、しどろもどろになっちゃう。オロオロしているだけでしょ? でも、それは本来、いけない事ではないと思うんです。むしろ大事な事だと思います。ある事をわからない自分が居る。だから、わかろうとする。でも、わかろうとするんだけどわからない。となると、ちゃんと考えようとする。と、そうやって<わかろうとする姿勢・考えようとする姿勢>を保っていると、『他人のことでは無い。自分の事だ』とわかってくる。そう思います。俺みたいに、しっかりしていない人間だけど、わからないと思った事について、わかろうとして考えて。そして、人の邪魔をしないように気を付けつつ、一つのテキストとして作品を提供する。それが僕の現在のスタンスです。質問の答えになっているかわからないけど……」


MASA:「大丈夫です!! 今日は長時間に渡って、ありがとうございました!」


(採録、ここまで)


 およそ90分に渡った単独インタビューの模様を2回に分けてお送りしました。

 かなり引きだせたと思うのですが、如何でしたでしょうか?

 本稿をお読み下さった方に感謝を。ありがとうございます。

 

 各地での上映情報は、いせフィルム公式HPを御覧下さい→https://www.isefilm.com/
 
 大阪・シアターセブンでの上映詳細はコチラ→http://www.theater-seven.com/2017/movie_yasahiku.html

 名古屋・名演小劇場HPはコチラ→http://meien.movie.coocan.jp/


<添付画像使用許諾:いせフィルム>
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