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2017年11月11日18:14

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エディタ・グルベローヴァ《オペラ名曲を歌う》

【プログラム】
 <第1部>
 1 モーツァルト: 歌劇「後宮からの誘拐」序曲
 2 モーツァルト: ”悲しみが私の宿命となった”
              (歌劇「後宮からの誘拐」よりコンスタンツェのアリア)
 3 モーツァルト: 歌劇「ドン・ジヴァンニ」序曲
 4 モーツァルト: ”ひどいですって?そんなことおっしゃらないで”
              (歌劇「ドン・ジヴァンニ」よりドンナ・アンナのアリア)
 5 モーツァルト: 歌劇「フィガロの結婚」序曲
 6 モーツァルト: ”オレステとアイアーチェの苦悩を”
              (歌劇「イドメネオ」よりエレットラのアリア)
        ***** 休 憩 *****
 <第2部>
 7 ベッリーニ: 「ああ,もし私があと一度でも〜ああ,信じられないわ」
              (歌劇「夢遊病の女」よりアミーナのアリア)
 8 ロッシーニ: 歌劇「セヴィリアの理髪師」序曲
 9 ドニゼッティ: 「あなた方は泣いているの?〜あの場所に連れて行って
                                〜邪悪な夫婦よ」
              (歌劇「アンナ・ボレーナ」よりアンナのアリア)
10 ロッシーニ: 歌劇「泥棒かささぎ」序曲
11 ドニゼッティ: 歌劇「ロベルト・デヴリュー」より最後のシーン

エディタ・グルベローヴァ(ソプラノ)
ペーター・ヴェレントヴィチ(指揮)
札幌交響楽団

2017年11月2日(木),19:00開演,札幌コンサートホール


エディタ・グルベローヴァは何年か前にベルカント・オペラは歌わないと宣言した。その頃,彼女の舞台を聴いても,全盛期と比べると声の輝きやテクニックに陰りが兆し始めたようで,その宣言に納得したものだ。ところが,当のグルベローヴァがオペラ・アリアを歌うというので出かけてみた。ピークを過ぎたオペラ歌手が,知名度を頼りにオペラに出演するのを聴いて失望することは多い。今回も期待はずれに終わることを半ば覚悟して演奏会に足を運んだものの,そこにはベルカントからの引退を決めたときを凌ぐディーヴァの姿があった。ちなみに,「オペラ名曲を歌う」と題された演奏会は,びわ湖ホール,すみだトリフォニーホールそして札幌と全国3箇所で開催されたらしい。さらに,ハンガリー国立歌劇場の日本ツアーでは,9日と11日は東京文化会館で,12日は大阪フェスティヴァルホールで「ランメルモールのルチア」のタイトル・ロールを歌う。

往年の輝きを取り戻したかのようなエディタ・グルベローヴァの圧倒的な存在感が際立った演奏会だった。その強大な存在感が音楽文化の成熟にとって,どのような意味を持つのかを見せつけられたコンサートでもある。地域社会の音楽水準を向上させる上で,小粒な演奏会を何百回重ねるよりも,ディーヴァの歌を一度披露することが決定的に重要であることがわかる。もちろん,これは独断と偏見にまみれた見解で,こうした意見には異論もあるでしょうが。

「オペラ名曲を歌う」と銘打ったコンサートでは,前半にはモーツァルトのオペラ・アリア,後半にはベルカント・オペラのアリアを披露してくれた。圧巻だったのは,いうまでもなくベルカントのアリアの数々。穏当さには欠けるかもしれないが,グルベローヴァがモンスターか何かのようにみえてくる。張りつめた強靭な声でドラマチックな情景を描いてゆく様は未だに色褪せることはなく,70歳台に突入したソプラノの声だとは信じ難い。多くの声楽家が30歳台で現役を退くなか,その倍以上の年齢でこれほどスピントかつドラマティコな声質を保っているのは驚異的だ。オペラ全曲を歌い切るのとアリアを何曲か歌うのとでは,その難易度は隔絶していることはもちろんだが。あの年齢で,超絶技巧を駆使した高難度のアリアを人間業とは思えないくらいの高い声で難なくこなしてしまう。そして,ただ正確に歌い切るだけでなく,その歌で演奏会場全体をに興奮の坩堝と化してしまう力を持っているのだから超人的かつ怪物的なアーティストだ。

ただし,第1部のモーツァルトのオペラ・アリアではコロラトゥーラによるメロディーの彫琢を若干手抜きしていたというか誤魔化していた。そうした理由は,おそらく第2部に声を取っておきたかったからだろう。純粋に技術的な観点からすると,あの程度のアリアは歌いこなせたはずだ。同じ理由で,演奏効果は絶大でも声の消耗が著しい「夜の女王のアリア」を避けたのではないか。前半では声や体力をセーブして,後半に全力投球する考えだったはず。寄る年波には勝てないことを自覚した結果,モーツァルトでは真正面からの対決を回避した格好だ。

もちろん,オーケストラの演奏を盛んに煽っていたのは,何を隠そうグルベローヴァ自身だった。とりわけ,第2部のベルカント・オペラのアリアを歌っているときは,この傾向が顕著だった。オーケストラこそ地元の札幌交響楽団だったものの,グルベローヴァはペーター・ヴァレントヴィチという指揮者を帯同していた。だが,演奏家としての器の大きさが格段に違っていて,伴奏を務めるオーケストラにより大きな影響を与えたのは,指揮者ではなくソプラノである。指揮者よりも客演した独奏者にオーケストラがインスパイアーされることがあると同様に,オペラ・ハウスでもソロ歌手の歌唱にピットの中のオケが煽られることもあるはず。要するに,ソリスト,指揮者そしてオーケストラ,3者の中で,音楽的力量の一番大きいものが演奏に最大の影響を与えるということだろう。

また,聴衆以上に,オーケストラがより貴重な経験をしたとも言えそうだ。第2部に入ってから,ステージ上のオケの面々はにこやかな笑みを受けべながらも,明らかに興奮を隠せない様子だった。音楽家同士だからこそ,グルベローヴァの器の大きさが良くわかるのだろうし,彼女との共演を貴重なチャンスと捉えているのだろう。札響はシンフォニー・オーケストラなのでピットでオペラの上演に参加する機会は無いに等しい。そのようなこともあり,扇情的な演奏が得意とはいえない。そもそも音楽は感情の芸術なので,人間の感情を煽るような流儀の演奏は,オーケストラにとって欠かせないはずだが,シンフォニー・オーケストラの常として,どこかストイックでお行儀の良い演奏に終始しがちだ。さらに,たとえオペラの伴奏を多く経験したとしても,それが凡庸な上演であれば,本来の意味で演奏に幅や厚みが増すという効果は期待できない。グルベローヴァ級のアーティストと共演して初めてわかることも多いはずだ。

どのような事情で,数少ないグルベローヴァの「オペラ名曲を歌う」を札幌で開催することになったのか詳しいことはわからないが,とにかくこの街の音楽好きにとっても,地元オーケストラにとっても,画期的な出来事だったことは間違いないだろう。これを機に高水準の公演が増え,それが刺激となりこの地の音楽文化が一層成熟することを願う。もちろん,それほど単線的に事が運ばないのは充分に承知してはいるが。
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