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2017年10月19日13:47

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バルト三国の苦難



 青空の下、見渡す限りの草原が広がっている。地平線に続く原野で、視線を遮るものは、広大な森林だけだ。コウノトリが電柱の上に、大きな巣を作っている。
 欧州連合(EU)の北東の端に、エストニア、ラトビア、リトアニアという小さな国々がある。これら三か国は、1990年にソ連から独立した後、2004年にEUに加盟した。一番北のエストニアの人口は約130万人、その南のラトビアの人口は約190万人、リトアニアの人口は約280万人。つまり3か国の人口を合わせても、東京23区の人口より少ないのだ。
 これらの国々はポーランドと同じく、ロシア(ソ連)とドイツという列強の間に挟まれていたため、過酷な運命をたどってきた。大国の版図拡張のために、何度も欧州の地図から消されるという憂き目にあった。
 18世紀以来ロシア帝国に占領されていたバルト三国は、ロシア革命によって帝政が崩壊したのを機に、1918年に独立した。だが1939年にヒトラーとスターリンは、独ソ不可侵条約を締結。条約の秘密議定書は、ナチスドイツがポーランドの西半分を占領し、ソ連がバルト三国とポーランドの東半分を領土に編入することを決めていた。ヒトラーとスターリンは、東欧諸国の政府と国民の頭ごなしに、これらの地域を勝手に分割したのだ。ナチスドイツがポーランドに侵攻した翌年の1940年に、ソ連はバルト三国に攻め込み、強制併合した。バルト三国政府の閣僚や知識階層は次々に逮捕され、家畜を運搬する貨物列車に押し込まれて、シベリアの労働収容所に移送された。彼らの大半は凍死したり、病死したりした。
 1941年6月にヒトラーは独ソ不可侵条約を破ってソ連侵攻を開始。初めの内バルト三国の多くの市民はドイツ軍を「共産主義政権からの解放者」として歓迎した。だがナチスも、バルト三国で恐怖政治を行う。ナチスは、バルト三国で約22万人のユダヤ人を殺害した。この地域に住んでいたユダヤ人の約85%が抹殺されたことになる。
 1944年にはソ連軍がバルト三国に侵攻し、ナチスを撃退。だがバルト三国は、再びソ連の領土として強制併合された。共産主義支配は、その後およそ半世紀にわたり続いた。この期間にも、多くの市民が秘密警察によって恣意的に逮捕されて、処刑されたりシベリアに追放されたりした。
 バルト三国の人々は「自分たちの国はロシアの一部ではなく、欧州の一部だ」と強く感じている。あるラトビア人は、「我々のEU加盟は、欧州への帰還を意味する」と感慨を込めて語った。
(文と絵・熊谷 徹 ミュンヘン在住)ホームページ http://www.tkumagai.de 

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