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2017年10月12日17:23

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戦前の日本には朝鮮学校はなかった

1910年(明治43年)に大日本帝国は大韓帝国を併合し「朝鮮人は日本国民」になった。そのため朝鮮人には日本人としての学校教育が施されることになった。

1910年の時点で日本に住んでいた朝鮮人は2,527人であったが、1917年になると14,502人と爆発的に増え、1939年の時点では961,591人に膨れ上がった。
朝鮮人が日本に来るには渡航証明書が必要であったが、これら朝鮮人の殆どは密入国ししてきた者たちで、朝鮮人を密入国させることによって莫大な金を稼ぐものまで現れた。
日本政府は取り締まりの強化に努めたものの焼け石に水のごとく、怒涛のごとく密入国をしてくる朝鮮人を止め立てすることが出来ず、遂には取り締まりを放棄するしか無かった。

1940年になると、朝鮮人を徴用して日本で働かせる国策によって朝鮮人の数は一気に1,190,444人に増え、1944年では1,936,843人であったが、敗戦の年である1945年には1,115,594人に、翌年の1946年には647,006人に激減した。
これは徴用工を帰還させ、また地上の楽園という謳い文句の北朝鮮への「帰還運動」と相まって朝鮮人の数が減ったためで、敗戦の混乱に乗じて日本各地で悪事の限りを尽くして稼ごうとした朝鮮人だけが帰ることを潔しとはしなかった。

そしてこれら不逞朝鮮人が地盤を固めようとして作ったのが朝鮮人学校なのである。





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