大昔にはホームとホームを繋ぐ渡り廊下(跨線橋)がない駅もあり、そのような駅ではホームの端にある通路を通って別のホームに行けるようになっていた。また遮断器のない踏切は珍しくなく、場所によっては警報機のない踏切もあった。
そのために人は【自分の目と耳で状況を判斷】して通行するのが当たり前であったが、警報機のない踏切の廃止や遮断器の取り付け、それにホームとホームを繋ぐ渡り廊下が小さな駅でも設置されるようになってくると「自分の目と耳で状況を判斷」することが疎かになり、【安全を他人に任せる】傾向が強まった。
更に時代が進むと駅階段だけだったのがエスカレーターが取り付けられ、エレベーターまでも取り付けてる駅が珍しくなくなり、【年寄りや片端者に自立を迫る】ようになった。それが今ではホームドアまでも設置して【盲の完全自立】を迫る駅が出てきているわけだが、そもそもの考えが誤っているのである。
盲は普通の人からすれば「可哀想な人」のように思えるが、かといってなまじ手助けをするのは甘えぐせを身に着けさせてしまうことは無論、金銭的・人的資源の浪費に繋がってしまうだけである。
なので本来の方法である【自分の目と耳で状況を判斷】させるべきであるが、盲には当然ながら視覚はない。しかしそれ以外の感覚を用い、また磨く努力を続ければ特別の能力(超能力)が使えるようになるかもしれない。
■駅のホーム「欄干のない橋」 視覚障害者の転落どう防ぐ
(朝日新聞デジタル - 10月07日 17:36)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4802728
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