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2017年10月07日09:47

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魂との対話12

あなたは永遠に責任から逃れられない 

私たちのあらゆる行動、思考、フィーリングが、意図によって動機づけられている。意図は、何らかの結果と一体となって存在する原因である。もし私たちが何らかの原因にかかわったとしたら、私たちがその結果とかかわらないことは不可能である。このようにきわめて深いレベルで、私たちは、自分のすべての行動、思考、フィーリングに関する責任を負わせられている。

私たちは、自分の意図の果実のすべてを、自ら食べなくてはならないのである。よって、自分のさまざまな意図を認識するとともに、どの意図がどんな結果をつくり出すかを整理し、自分がつくり出したい結果につながる意図を選択することは賢いことである。

物理的現実内での原因と結果の関係は、物理的現実を超えて機能している。「カルマの法則」と呼ばれる力学である。そして、あなたが体験する愛や恐れ、思いやり、怒りなどは、あなたが見ていない、より大きなエネルギー・システムの愛、恐れ、思いやり、そして怒りの小さな一部にすぎないのである。

カルマの法則は、「作用反作用の法則」としてあらわれる非個人的なエネルギー力学である。それがパーソナリティーの観点から体験されるとき、原因である意図のエネルギーが、方向を反転して戻ってきたものとして体験される

他人を嫌悪する人間は、他人からの嫌悪を体験することになる。他人を愛する人間は、他人からの愛を体験することになる。キリストが「山上の説教」のなかで行なった、「自分がしてもらいたいと思うことを、人にしてあげなさい」という教えは、カルマの力学にもとづいた行動指針である。個別化されたカルマの法則は、「あなたは自分が世界に与えたものを、世界から受け取ることになる」といったところだろう。

カルマは道徳的な力学ではない。道徳は人間が創造したものである。宇宙はけっして裁かない。カルマの法則は、私たちの道徳システムの内のエネルギー・バランスをふくむ、あらゆるエネルギー・バランスを支配している。

結果をまだ生み出していない原因のすべてが、まだ完結していない出来事である。それはアンバランスなエネルギー状態にあり、バランスがとれる状態に向かう過程にある。そしてそのバランスは、必ずしもひとつの生涯のなかでとられるとはかぎらない。

一般にパーソナリティーは、それ自身の魂の数あるパーソナリティーのうちの別のパーソナリティーがつくり出した結果を、頻繁に体験する。と同時に、それとは裏腹に、それ自身の生涯のなかでは正されえないエネルギーのアンバランスをつくり出したりもする。よって、魂、輪廻転生、およびカルマに関する知識をもたなければ、パーソナリティーは、人生内で発生するさまざまな出来事の重要性や意義、あるいはそれに対する自分の反応の結果を、必ずしも理解できるとはかぎらない。

たとえばあるパーソナリティーが他人をだましたとしたら、そのときそのパーソナリティーは、「他人にだまされることで正される必要のある、エネルギーのアンバランス」を創造したことになる。そして、もしそれが、そのパーソナリティーの生涯が終わるまでに正されなかったとしたら、同じ魂の別のパーソナリティーが、他人にだまされることを体験することになるだろう。
 
そして、その別のパーソナリティーが、他人にだまされることは過去につくられた原因の結果であるということ、および、その体験によって、ある非個人的なプロセスが完結することになる、ということを理解していなかったとしたら、そのときそのパーソナリティーは、自分の魂の観点からではなく、個人的な観点から反応を示すだろう。
 
そのときそれは、怒り狂い、復讐心をたぎらせるかもしれない。あるいは、ひどく落胆するかもしれない。殴りかかるかもしれないし、世をすねるかもしれないし、悲しみに沈むかもしれない。そして、そういった反応のすべてが、バランスをとられる必要のある別のエネルギー・アンバランス、すなわち、カルマを創造することになる。このようにして、いわゆるカルマ的負債が支払われるのと同時に、新しいカルマ的負債が次々と作り出していくのである。他人を裁くことは

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