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2017年09月28日16:28

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「紀南の100人」紀伊民報社 CE2013年2月26日発行 の登場人物一覧 前半部 

「紀南の100人」紀伊民報社 CE2013年2月26日発行 定価1000円+税 を抜粋してこの日記に刻んでみます。

前書き:<本書は、紀南地方の各分野で活躍する100人を紹介した連載「紀南の100人」(紀伊民報2011年1月9日つけ〜2012年12月30日)を収録したものです。
登場いただいた方々の年齢や肩書きなどは紙面掲載時点のものです。>

出身は様々で、現在、紀南地方在住の方を取り上げた連載の単行本化。 100人全員の抜粋を試みます。敬称は略します。

1 内山りゅう(48)生物写真家 白浜町
   東京生まれ、東海大学水産学科淡水魚専攻。

2 宇恵敏勝 (73)作家 中辺路町

3 原和夫 (70)農業秋津野ガルテン役員 田辺市神秋津
       昭和の大合併で上秋津村が牟呂町になった際、共有財産を一括保全、管理する社団法人を発足させた。

4 野田正史(まさふみ) (45) (株)プラス社長「よってって」公認会計士

5 多田稔子(のりこ)(52)小学校教員を経、義父経営のビル営繕会社副社長。 田辺観光協会長。印南町出身、和歌山大学教育学部卒

6 玉井又次(またじ)(84) 備長炭製炭 白浜町安居 
   南部川村の峠の茶屋出身。 海軍、比島で捕虜、S22年復員。

7 坂本勲生(82) 田辺市本宮町本宮在 熊野古道語り部

8 中瀬喜陽(ひさはる) 78  田辺市神小浜1丁目在住。郷土史家、南方熊楠研究者、俳句結社「貝寄風」主催、著書多数。

9 林克紀 (かつき) 61 太地町職員 くじらの博物館館長

10 富士藪庸一 38 白浜町生まれ 東京基督教大学卒 保育士を経、白浜バプテスト教会牧師。 いのちの電話、学習支援塾、自然塾など主催。

11 菊池博子 55 実家、湯ノ峰温泉旅館「あづまや」社長を継ぎ、熊野本宮女将の元会長。

12 原和夫 56 兵庫県明石市出身、那智勝浦町大野在住。養鶏業、有機無農薬野菜の「耕人舎」の5家族とともに色川地区に入植、「百姓養成塾」主催。

13 真鍋和矢 44 白浜町桟橋出身 祖母宿経営、父理髪店経営、「ナギサビール」社長

14 赤松荘典 62 みなべ町清川 臨済宗妙心寺派本誓禅寺住職。 花園高校・大学卒。 紀州薬師梅(株)設立、出荷額1.5億円、梅農家20戸と契約、従業員10名以上。無料宿泊所「ふるさと道場」建設。

15 村田修 70 白浜町在住。 近畿大学農学部教授、水産増殖学専攻。
原田照雄氏が2代目、熊井英水氏が3代目を務めた近大水産研究所所長を務める。

16 金谷照男 81 田辺市中屋敷町在住。 ボタン製造のカナセ工業社長、売上げ30億円、従業員200人。「原価計算だけでなく、深い人情、熱い心を」

17 酒井滋子 80 田辺市本町在。 南紀高校定時制、田辺高校、南紀養護学校の教員をへ、退職後、引き籠り青年支援施設「ハートツリー」開設運営。

18 中川武正 64 白浜町鹿野川添診療所所長。 アレルギー、呼吸器科専攻、元聖マリアンナ医大教授。

19 森拓也 58 すさみ町在。 三重県四日市市出身。 東海海洋学部卒。 町から委託され、「エビとカニの水族館」運営。



20 原さだ 52 龍神村出身、龍神村在。 プロパンガス販売の家業継承のため26歳の時、帰郷。 「龍神ごまさんスカイタワー」指定管理者、従業員5名、うち4名は地元。
けん普及指導協力委員、龍神味噌加工組合代表、NPO「フウドわかやま」副理事長。


21 御前洋 (みさき ひろし)63 串本町潮岬在。 前串本海中公園館長。 魚類学会会員、サンゴ礁学会会員など。

22 古守一晶 こもりかずあき 67 田辺市新万在
白浜町の農家に生まれ、高校卒業後、地銀田辺市店に就職、24歳時に離職、母親の浴衣寝間着賃加工業継承、バブル期の10年にわたり株の巨額売買を行い、負債を背負う。 この頃、新万団地の友達11人と花を植えるNPO「花つぼみ」結成、総理大臣賞など受賞。家業は60歳で廃業。

23 真砂典明 まなごのりあき 79歳 龍神村柳瀬在。林業175ha経営、県森林審議会委員
東京育ち、大卒林業専攻、県庁に就職、ゴボウの出先機関に勤務していた29歳時、開業医を父に持つ真砂家の長女と結婚、33歳時義父死亡、県庁退職、林業経営専念。全国林業研究グループ連絡協議会長としてCE1993年から「山村(やま)からのメッセージ運動」を全国展開。

24 松上京子 まつうえきょうこ 48歳 田辺市産まれ田辺在住
短大卒業後、オフロードバイクで日置川町の山中で崖からバイクとともに転落、脊髄損傷、事故後3年半に先進国合衆国に留学、帰国後結婚、長女出産後、テレビの企画でユーコン川300kmをカヌーで下る。 岡山理科大学非常勤講師「福祉環境論」を論じる。

25 山中善道 55歳 上富田町岩田在 田辺市内の工務店勤務をへ、CE1989年設計事務所開業。「NPOくちくまのクラブ」2005年発足させ、理事長。

26 玉岡憲明 たまおかとしあき 85歳 新宮市橋本在
大峰奥駈道南半分を復活させようとした田辺市出身の財産家、前田勇一氏の意志を継ぎ、再開通させた。

27 寺本正勝 72 串本町旧旧和深村大字安指字安崎(わぶかあんざしあんざき)在
代々の漁民、串本高校卒業後の進路、在阪食品問屋に就職、3年後帰郷漁師に。マグロ専門漁師に。

28 九鬼家隆 54 熊野本宮大社宮司 伊勢在の皇學館高校、國學院大卒。明治神宮をへ、1985年熊野本宮大社に入職、2001年宮司。
仙台宮司宗隆氏の長男、宗隆氏は下鴨神社をへ、CE1951年に熊野本宮大社宮司に着任。2003年御遠行。

29 福井正二郎 98 那智勝浦町宇久井在 元美術教諭 著書多数「紀州熊野採集日本魚類図譜」「紀州熊野さかな歳時記」など 帝国美術学校(現、武蔵野美術大学)卒。 ちょうへいけんさふごうかく。

30 上田博久 52歳 「古座川渓流塾」を月尾嘉男東大名誉教授の「自然塾」の9番目の団体として1999年に立ち上げた。

31 西村潤 69 田辺市五味在。大阪市生まれ大阪市育ち。 僻地教育のため、婚約者の容子さんとCE1965年に五味在の三川第2小学校に赴任、廃校になったため、農業で生計を立てる。子供3人、娘2人は息子1人は13km離れた相川に通学。農産物直売所設立。

32 玉井濟夫 72歳 田辺高校生物教員
CE1974年一月末に田辺商業高校(現、神島高校)生物教諭で、基督教徒で高潔の士、外山八郎氏の訪問を受けたことが契機で、天神崎ナショナルトラスト運動を発足させた。

33 沼田久博 57 白浜町在 むさし社長 白浜観光協会長
父は在阪の弁護士事務所経営の傍、観光、貿易、飲食業を手広く経営。
約60年前現在地で木造2階建30室の旅館経営。18歳時に父他界、大学卒業後、女将兼社長の旅館「むさし」に入職。

34 後藤清 82 みなべ町東吉田在。龍神村福井出身。 元小学校教員 みなべ町山内の千里浜でアカウミガメなどの保護にあたる。 日本ウミガメ協会理事。

35 出口清廣 でぐちきよひろ 57 陶芸家 田辺市芳養町在。 みなべちょうにそだち、おおさかのこうこうそつぎょう、家業の石油販売会社に就職。 CE1977年23歳時趣味で灯油窯を製作、独学で焼き始め、青磁作家手塚央氏の外弟子。

36 三谷弘 81歳 上富田町岩田在。 三谷人形座座長、元小学校教員、前県天然記念物日本鶏保存会会長
生家は上富田町の商家。CE1945年五月海兵団に徴兵。復員後、パン屋の配達、土工、小学校代用教員をへ、小学校教員。 教員生活をしながら西川房司一座に加入。 師匠の死後、退職20年前に「三代目西川房司」民俗芸能実演、人形の収集保存に当たる。

37 岡上哲三 65 中辺路町在。熊野高校林業科卒、営林署をへ、中辺路町森林組合へ。現組合長。
熊野古道、中辺路町野中のの中の一本杉のある「継桜王子」の「野中の獅子舞」を担う近野獅子舞団代表。団員15名、11月3日の大祭、正月2、3日の角付けで年間100万円の経費を自力で賄う。

38 中本宣子 54 なかもとのりこ 田辺市天神崎在。 県動物愛護推進委員。
NPOワンニャン会代表 動物の避妊手術に取り組む。 必要経費は200万円/年は会員150人の会費とバザーで賄う。

39 坂本フジヱ 87 助産師 田辺市朝日ケ丘在 著書に「大丈夫やで〜ばあちゃん助産師のお産と育児のはなし」
14歳から大阪の歯科医院に住み込みで働く。働きながら、看護婦助産婦保健婦免許取得。 CE1945年21歳時日高郡清川村(現みなべ町)に帰郷、上芳養の高齢医師を手伝い、助産も。出張助産婦として23歳の時出産所開業。2人の子を育て上げ、73歳の時に現在地の助産所移設。

40 久保田信 くぼたしん 58 京大瀬戸臨海実験所准教授
松山市の教育者の家系が生家、愛媛大学理学部、北海道大学理学研究科博士課程修了、CE1992年より現職。 福島第二沖のベニクラゲを研究中。

41 鈴木和夫 54 田辺市朝日ケ丘在。 ふるさと自然公園センター勤務。
東北大学理学部で釜石石巻地域の島嶼山間で鹿の生態研究。家庭事情で帰郷、田辺へ。CE1995年から2年間青年海外協力隊でザンビアの国立公園職員として、増えすぎたカバの大規模な間引きを指導。

42 奥野誠 58 奥野佳世60 龍神村在。 田辺市龍神山路紙(さんじかみ)保存伝承施設代表。
日高川上流域は古来コウゾノ産地で、その地域の一角に山路紙(さんじかみ)が生産されていたが、戦後間もなく、作られなくなった。
村はCE1983年芸術で村おこしを試み、翌年幼子を連れた30代前半だった奥野夫妻が入植。美術専門学校講師と不律高校美術教師を退職して移住したもの。独学で山路紙を再生した。
一帯には、陶芸、木工、草木染、漆、詩人、調理師ら30人ほどが移住してきた。

43 岩本直子 66 南部町西本庄在。 梅栽培農家主婦からなる町梅料理研究会会長。

44 上野一夫 63 串本町中湊在。 洋品店経営。 洋服仕立て業3代目。高校卒業後東京日本橋のtailerで修行し、帰郷。 危難の歴史習俗への関心から大辺路再興に。町文化財審議委員。 日本オオカミ協会理事など。

45 堀敏実 49 富田町朝来在。 庚申さん研究。 郵便局勤務。

46 松本学 70 すさみ町在。 日本体育協会水泳上級指導者、 日本遠泳協会名誉会長
東京の大学で機械工学を学び、小田実氏の著書「何でも見てやろう」に影響を受け、大手総合商社内定を蹴り、3人乗りの四輪自転車を手作りして西欧諸国を放浪。帰国後は大阪で父経営の金属加工会社に入職。40歳半ばで遠泳を知り、CE1993年に日本遠泳協会会長に、60歳代半ばの9年前に会社を廃業し、寝屋川市から現住地へ移住。

47 木下賢治 72 上富田町朝来 理学療法士 病院勤務をへ、何期養護学校教諭。
龍神村湯布地区生まれ、弱視のため、県立盲学校卒業し、マッサージ鍼灸師免許、和歌山市の病院勤務。CE1969年理学療法士、82年県理学療法士協会会長。

48 原盾二郎 はらじゅんじろう 72 田辺市朝日ケ丘在 元田辺高校教員。県合唱連盟理事長 校歌作曲。
小学校教員で合唱団に入っていた父の影響で、生まれ育った大阪市から御坊市に移住した小学校時代にピアノを習う。 大阪学芸大学(現大阪教育大)特設音楽過程ピアノ科卒、60年に田辺高校に音楽教員として赴任。

49 楠本弘児 くすもとこうじ 64 新宮市新宮在 国際熊野学会を大学教授らと開設。
祖父が新宮市内の丘陵地を開拓、5人兄妹の長男。 20歳で結婚、子息が誕生し、農作業の傍ら一眼レフを初めて買い、地元写真クラブで風景、人物、ヌードをとり、賞金稼ぎとなるも、熊野の地誌を独学で学び、写真家としては40歳をすぎてプロに転向。

50 山縣弘明 (48) 那智勝浦町勝浦脇仲地区在 町議 石油販売会社社長
マグロはえ縄漁の浮き具ビン玉を行燈にして通りの照明飾りにした町おこし

51 平岩孝則(38) 田辺市宝来町にてルアー製造会社経営

52 竹内雅一(61) 龍神村西在 フランス料理人 村商工会議所副会長兼開発公社理事長

53 広田智子(56) みなべ町熊岡出身、田辺市あけぼの在 ジャズダンス指導者

54 倉岡有美(44) 古座川町潤野在 農事組合法人「古座川ゆず平井の里」統括責任者。

55 細川清 (60) みなべ町晩稲 梅の「紀州ほそ川」社長 「紀州うめどり、うめためご協議会」長

56 トウル ブラッド (37) マニトバ出身 田辺市在 田辺市雲のツーリズムビュロー職員

57 遠山誠之助 (72) みなべ町南道在 水道設備工事業 県山岳連盟会長

58 湊宏 (73) 白浜町中在 元高校教員 大学では西洋史専攻 日本貝類学会評議員 カタツムリ研究家

59 五味田聖二(72) 田辺市稲荷町在 合気道田辺道場長 療術師

60 古谷学 (60) 白浜町在 作詞作曲歌手 熊野高校OB





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