8.裁くことのない正義とは何か?
魂の観点を知りたいならば、たとえどんなに理解しがたい状況や出来事に直面しても絶対に裁いたりしないよう、肝に銘じておく必要がある。宗教裁判やホロコーストなどの残虐行為、乳児の死亡、癌による長い死の苦しみ、寝たきりの人生など、理不尽だとしかいえないような出来事や状況はたくさんある。しかし、そういった苦痛を通じて何が癒されようとしているのか、あるいは、どんなエネルギーがどのようにしてバランスを取り戻そうとしているのかを、私たちは知らない。
そういった状況を目撃して同情を感じることは妥当なことである。そして、その心情にもとづいて行動を起こすことも妥当なことである。しかしながら、それらの状況や出来事、あるいはそれらにかかわっている人々を裁いてしまったとしたら、そのとき私たちはバランスをとられる必要のあるネガティブなカルマをみずから創造し、いつしか、そのアンバランスを解消するための状況を体験しなくてはならなくなる。
もし私たちが裁かないとしたら、正義はどうなるのだろうか?
ガンジーは生前、人々にたびたび殴られ、瀕死の重傷を負ったことが二度もあった。にもかかわらず、彼を攻撃した者たちをけっして訴えなかった。「彼らは彼らなりに、自分たちが正しいと考えたことを行なっている」ということを知っていたからだという。この「裁きのない理解」こそが、ガンジーの人生の中心テーマだった。
キリストは、彼の顔に唾(つば)を吐きかけた人たちさえも裁かなかった。彼を容赦なくいたぶり、激しい屈辱を与えた人たちをも、けっして裁かなった。キリストもガンジーも「裁くことのない正義」を知っていた。
「裁くことのない正義」とは、あなたに人生内のあらゆるものを見させてくれるとともに、
あなたのネガティブな感情を一切呼び起さない認識である。
「裁くことのない正義」は、あなたを私設裁判官と私設陪審員という仕事から開放する。
「裁くことのない正義」はネガティブな反応を一切示すことなく、見えているものを見、体験しているものを体験する自由である。それは、宇宙の知性と輝きと愛の自由な流れを、私たちに直接体験させてくれる。
「裁くことのない正義」は魂とはどのようなもので、どのように進化するのかを理解する心から、自然に流れ出るものである。
さて以上述べたことが、私たちの進化のプロセスの枠組みである。
私たちはこれまで、持続的な生まれ変わり、すなわち、「カルマの法則にしたがって展開する、魂の癒しを目的とする魂エネルギーの持続的な具象化のプロセス」の枠組みのなかで、徐々に自身のパワーを強化しながら、個別の存在として、また種として進化を遂げてきた。しかしながら、このプロセスのなかで今後遭遇する体験の数々は、私たちがこれまで遭遇してきたものとは、だいぶ異なった種類のものになるかもしれない。
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