新人のグーは、悪臭さえ我慢できれば、なかなかいい奴で、いつも「アニキ〜フンフンフン♪」と、なついてくる。
喉のところをなでてあげると、ゴロゴロ言っていた。
当時の日記をそのまま引用してみよう。
アルファードのサイド・ギターとしてデビューするグーの実像だ。
1968年10月18日(金)
アンプとギターを持っていって、グーと競演のつもりだったが、想像以上にヘタクソ。
プロになるという話しはおかしいな。
ボクに教わっているくらいだし、ハムの出し方も知らない。
コードの切り方も雑だし、曲も「テル・ミー」しか知らない。
のっぽに来た時のサリーは、ボクに対していつも「大学生なのに、いつ学校へ行ってるの?」と、不思議そうな顔をして聞いてきた。
ボクも授業があるので、いつも「のっぽ」に来れるわけではない。
そこでグーは名案を思いついた。
「そうだ!それならイチを連れてこよう」と、大学生でプラプラしている親友の市原峰幸を連れてきた。
初めて「のっぽ」に来たイチは、女の子がたくさんいる華やかさにゴキゲンで、一緒にアルバイトをすることになった。
当時人気絶頂だったコーラス・グループ「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のボーカル三条正人に似た、しょうゆ顔のいい男だったが、欠点がひとつあった。
彼は顔に似合わず、短足でがに股であった。
彼こそが、アルファードの初代ベースとなるイチだった。
自主制作盤「涙の想い出」で、サリーに似たブンブン・ベースを弾きまくっているのは、そのイチなのだった。
グーとイチに「のっぽ」をまかせて、ボクは学業に専念していたが、しばらくして「のっぽ」に遊びにいくと、またまた見なれない男がひとりいた。
なんだ!?森本太郎にそっくりじゃないか!?
「あ〜アニキ、こいつ遊び仲間の佐藤満博。太郎さんに似ているでしょ?」
グーとイチは、バイトが終わると、よく踊りに出かけていたが、そこで知り合った仲間らしい。
北海道出身で、今は雀荘でメンバーが足りない時に、代打ちをしているとかで、麻雀にはめっぽう強いらしい。
この日以来、彼は「のっぽ」に来るようになったが、当然のことながら、まわりはタローと呼んでいた。
このタローも、太郎さんと同じく、後々リードギターとなっていくところが、実に面白い。
アルファード解散後も、太郎さんのお店でアルバイトをし、その後は同じ音楽業界で、持ちつ持たれつの関係が続いていく。
「のっぽ」には女の子も二人いた。
ひとりは髪の毛を染めた、ややケバい感じのエミ。
なかなか個性的で魅力のある女性だったが、スイング・ウエストのボーカル湯原昌幸のファンでもあった。
もうひとりはゴン(女の子なのにね)。
彼女はもともとタイガース・ファンで、特にサリーの大ファンでもあったので、「のっぽ」前身の「モナミ」にもよく来ていたし、ファンの間では、リーダー的存在でもあった。
「のっぽ」開店と同時に大谷ママにくどかれて、スタッフとなった子だった。
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