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2017年09月06日19:46

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阿部牧郎「人物日本プロ野球史」(3)

 平成29年6月22日(木)(2017年・2677年・4349年)。
 横浜通いの丸美先生は、JR東日本・東海道本線、横浜駅到着。
 今日は、業務(ミッション)Cだった。
 帰り道は、明日は休みなので、食べ歩きはせずに家飲みとする。
 買って読んでいる、阿部牧郎先生の、
 人物日本プロ野球史 (学陽書房): 2005|書誌詳細|国立国会図書館 ...
 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007974901-00
 の話の続き。
  * * *
 勝負師-水原茂
 風雲-三原脩
 箸と牛肉-若林忠志
 闘将-藤村富美男
 プロ野球が分裂した日-村上実
 焦土の駒鳥-田村駒治郎
 何と申しましょうか-小西得郎
  * * *
 ベイスターズ関係は、第2話の、現在のジャイアンツ、ライオンズ、ベイスターズを優勝に導いた三原脩元監督、第7話の、現在のベイスターズを優勝に導いた小西得郎元監督、第6話の、ベイスターズのオーナーだった田村駒治郎氏。
 ベイスターズの最初期の球場は、東京都江東区の洲崎球場で、当時から湾岸にあったようだ。
 もっとも、球団は、後に大阪に移る。
 当時の応援団長、赤羽親分が太っ腹な人で、試合に負けると慰めるため、選手を隣接する盛り場に連れて行ったそう。
 吉行淳之介先生の第26回(昭和26年下)芥川賞候補作「原色の街」の舞台にもなっている。
 吉行淳之介 『原色の街・驟雨』 | 新潮社
 http://www.shinchosha.co.jp/book/114301/
 現在なら横浜・伊勢佐木町に連れ出すようなものだろうけど、赤羽親分の財布の中身はどうなっていたのかな。
 小西監督は、負けた時ではなく、せめて勝った時に連れ出してくれと頼み込んだそうである。
 小西監督には誤審があると、審判を殴る癖があったそう。
 もちろん罰金を取られるので、ポケットにお金を忍ばせ、前金で審判に押し付けてから殴ったそうである。
 ラジオ韓国(1170kHz)・受信記録(21:25〜22:00)。玄界灘(サッカー国際大会試合中のトラブル、ほか)。社会面(平壌の女性交通警官は容姿端麗、定年26歳、ほか)。SINPO=33333。
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