mixiユーザー(id:9504635)

2017年08月29日09:56

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書けない理由

何事も成さぬまま、あっという間に時は過ぎていくものですね。気が付けば、前に書き込みをしてから、もう二か月もたってしまいました。

一応、書く習慣を取り戻したいと、日常の中で、何かふと感じたことなどメモしているのですが、少しして見返すと、あまりにも取るに足りないことで・・・結局、破棄してしまいます。以前は、そういうものを、何も考えずどんどん膨らませて、だらだらと言葉を繋げることが出来たのだと思いますが・・・取るに足りないことと気づけるようになっただけ、今の方が成長したのでしょうか。あるいは、とるに足りないことのなかにある素敵なものや大切なものを感じ取れなくなっているのでしょうか。以前だって、あまり素敵なものや多雪なものを感じ取っていたたわけではなく、ただ何も考えがず駄文を垂れ流していただけなのですが・・・それでも、何もしないよりはまし、と思うのであります。

で・・・上記のように、ふと思ったことを書き留めていたメモの中に、こんなものがありました。「風は目には見えない。自分が風に吹かれて感じるか、何かが風で揺れているのを見て推測するしかない」って。

相変わらずですね(^^;。だから、当然、これも破棄するはずだったんですが・・・ふと、少し前に見た深夜のテレビ番組で、禅の教えを分かりやすく解説する中に、何か似たようなものがあったなぁ~と思い出しました。

たしか・・・風に吹かれてはためいている茶店の幟を見て、若い禅僧二人が「これは旗が風に揺れているのか、風が旗を揺らしているのか」と議論していたら、それを聞いていた高僧が「そのようなことで議論しているお前たちの心が揺れている」と言ったとか・・・そういうお話です。

以前はね、わたしは、この若い禅僧のようだったのですよ。なんていうか・・・そういうことを考えるのが楽しかったというか・・・最高の遊びだったんですよね、そういうことを考えること自体が。だそういう意味では、若い禅僧たちとちがって、正解が欲しいとか、真理に到達したいとか、そういう高尚な気持ちはなかったですが・・・そういう価値観の世界を好んでいました。だから、毎日、ネタに困ることなく、駄文を書きつづけられたんでしょうね。

それが今は、決して高僧のようにワンランク上の思索の世界に辿り着けたのではなく・・・むしろ虚しさに押し流されて、自分の中に湧いてくる疑問を、「だからどないやゆうねん。そんなこと考えても何の意味もないやん」と冷めた気持ちで遠ざけてしまうんですよね・・・だから、何も書けない。

ったく・・・情けない限りです。意味ないやんとか言って何もしないの、ほんとに嫌いなのに・・・困ったもんです、ほんとに。
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