mixiユーザー(id:1418555)

2017年08月29日00:11

174 view

語り部になってしまった日

そんなわけで、日曜の午後に出向いた昭和プロレスを語る飲み会。
ミツヤ酒店で知り合ったヴァル・キルマー似の、通称アイスマンから事前に言われていた通り、濃いおっさんたちの集まりやった。

場所はお初天神通りの居酒屋たよし曽根崎店。
かれこれ35年くらい前からたまに来てたけど、ここの見事なまでの昭和っぷりはすごいな。
2階の座敷なんか、完全に時間が止まってるぞ。
http://photo.mixi.jp/view_photo.pl?owner_id=1418555&photo_id=2263880957
おぢさんたちが20歳になるかならないかの頃は居酒屋って言い方は一般的ではなく、炉端と言うのが普通で、まだ全国チェーンは養老乃滝くらいしかなく、関西ローカルでたよしと百番が両雄。
たんたんた〜よし〜いくよしたよし〜♪っちゅうCMが深夜に流れてたもんやけど、その時代のその画像ですら古臭かったのに、まさか同じ眺めがまだ残っていたとは。

さて、それはそれとして、アイスマンが集まった16人に国際プロレスを語らせたら日本で5本の指に入る人が来ると、いかにも昭和プロレスらしい大げさなギミックを用意してくれてたもんで、質問攻めに遭ってしもたやないか。
まず聞かれたのは育った場所。
滋賀やと言ったら、そこで早くもどよめく。

国際プロレスのテレビ中継は最初はTBSでやってたんやけど、いったん打ち切りになったあと、東京12チャンネル(いまのテレビ東京)が引き継いだ。
その東京12チャンネルから全国のUHF局に配信したものの、まだUHFそのものが普及しておらず、どこも不安定な経営と編成やったもんやから、中継したりしなかったりで、近畿では京都の近畿放送(いまのKBS京都)と神戸のサンテレビがやってたけど、ところどころ間が空いている。
そんな中、滋賀のびわこ放送だけはずっと国際プロレス中継を途切れることなく続けていたので、ファンの間では滋賀の人は特別なんやそうな。

しかも、その頃と言えば馬場さんの全盛期で、猪木もバリバリやった時期だけに、誰も国際を見ていない。
見る人が居ないからテレビ中継も東京12チャンネルに移ったわけやしね。
当時の話なので、ビデオを撮ってる人も残している人もおらず、記憶をたどるしかないわけで、求められるのは語り部の立場の人。
その語り部にされてしまった。
うちの場合、麻由美ちゃんが同じびわこ放送で全日本女子プロレスを見るのをいっしょに見てたこともあり、今はなき二大団体、国際と全日女の両方を語れるってのも、彼らに取ってはリスペクトすべき要因であるらしい。

さらにあれこれ話していると、中川さんって、もしかして、あの豊中の中川くんですかとの質問が出てきた。
ばれちまったらしかたがない、素直に認めて、さらにマニアックなその方面の話をする。
かくして、1日にしてレジェンドにして語り部になってしまったのだった、ぽてちん。


6 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する