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2017年08月09日12:08

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第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その3

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第××項 この世の全員が死ぬと言われる世の大立替。

私は豊受姫の元で神霊界修行のお世話になっている過程で、子供の時に私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声が私に告げられたのは【私はこの世の幕を降ろす】でした。日本では「世の大立替」と呼ばれていることに関して、その豊受姫の御代(オダイ)であった師匠を通じて豊受姫にどうなのですかと尋ねて貰いました。

するとその答えは、【人類は誰一人として生き残らない。全員死ぬ。もし人類にそれから助かる道があるならば、この私が教えて欲しいぐらいだ。その時に助かる道などどこにも無い。それが何時かと聞かれれば、それが何時かとは解らない。ただ、貴方は間違いなくその日迄は生きていて、その立替の大嵐の中を突き抜けて行くだろう】と言われます。
それは、私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と名乗る声が言った。「この世の終わりの日が何時かは言えない。ただ言えることはそなたはその終わりの日を自分の目で見届ける」と同じです。豊受姫は、その時には私もこの地球上では生きてはいないが、その大嵐の中を突き進んで別の世界で生きるです。言われる内容に大差はありませんでした。


私が関わった【木花咲耶姫】様系の方からも、「木花咲耶姫」様も人類は全員死ぬと言われていると聞きましたので、豊受姫様も木花咲耶姫様も同様の発信をなされているようです。が、木花咲耶姫の場合はその後は「嬉し嬉しの世」で、その時の大嵐に関しては言及されているのかが不明でした。が、そうした警告発言は豊受姫様系よりも木花咲耶姫様系の霊能者の方が強く出されているような気がします。

ある豊受姫の分魂を貰っている女性が、伏見稲荷山の主立った神達に向かって話をされているので、何事ですかと聞いたところ、私が会話しているのではありません。私の口を通じて豊受姫様が稲荷の神々に「世の立替」があることを話されているのですが、稲荷の神達は「世の立替」と言われてキョトンとされていると言われます。
稲荷系の神霊は国常立尊様系列以外の稲荷は頼りにはならないのかも知れません。大本教神諭に世の立替があることはどの神柱もご存知なれどもとありますが、実際には知っていない有様と言えました。


それは、聖書に示される【全員一度は死ぬの第一の死ぬ道】です。そして、次に霊魂となって審判を受けて天国(弥勒の世・高度の霊世界)に復活です。私はその大嵐の中を突き抜けて新しい未来の世に進むと言われたわけです。

​世の大立替を宣伝した大本教の王仁三郎聖師は類い希なる【大予言者】でもありました。出口王仁三郎聖師を通じて出された予言の数々は的中して来たわけです。しかし、出口王仁三郎聖師の予言で未だ的中していないのは【世の大立替】です。

私がお世話になった豊受姫は、その御代を通して阪神淡路大震災や普賢岳爆発などを事前に予告されたほどの神霊なので、ある程度の予知が出来る御神霊でもあるわけです。

無論、豊受姫の御代(オダイ)さんでもピンキリであって、御代を勤める方の魂の霊格が低いとそうしたことを一切語られないがあります。御代を勤める方の魂の霊格が高ければ、おそらく東日本大震災なども事前に告げられていた霊能者の方も出たでしょう。


だが、子供の私に命じられたのは人類を救わんが為の道であって、今の世の人類は全員死ぬであっても未来永劫の世に人類を渡す道があるならば、その道を模索することしかありませんでした。全員死ぬとしても、その後の復活して永遠に生きる事態がさっぱり解らないなのです。

豊受姫様の御代を勤めていた師匠から、豊受姫様から私に「人類の助かる道が見つかりましたか」とお尋ねがありました。どうなっていますかと言われたりしましたが、未だ解りませんと返事するのが精一杯でした。

そこに出て来たのが大本教神諭予告【九つ花】を解読することによって解ったのですが、お釈迦様の悟りでもあった【人には良心と呼ばれる神が内在している】でした。新しきみろく世に入る為には【良心神】が必要なのです。


一般的にはお釈迦様の菩提樹の下での悟りは【慈悲】であったとされています。お釈迦様の本当の悟りはお釈迦様の死後五十六億七千万年後に、弥勒菩薩が出て来ないと本当のことが解らないとされてはいましたが、五十六億七千万後などと途方も無い未来が予言されているのではないぐらい、よほどのバカでもなければ解ることです。
まさか「みろく」神を説いた大本教神諭予告の【九つ花】に、その五十六億七千万の意味まで秘められていたとは、お釈迦様でも気がついてはおられなかったなのです。お釈迦様の祇園精舎の御守護神は【牛頭天王】ですが、大本教神諭には【艮】だけでなく、牛頭虎パンツの「牛虎」を告げています。
​私は2番目の師匠の元で修行中、【牛頭の侍姿】の霊が出て来て、【牛頭】の存在があることを知りました。


​大本教神諭予告、【九つ花】を紐解かないと【みろく】神は理解出来ない


大本教神諭に【世の立替があると云うことは、どの神柱にも判りていれど、モウ一厘の肝心の事は判りておらん】とあります。だが、私が神霊世界を見聞して来た限りにおいては、末端の神界においては「立替」があるなど知らない有様なのです。だが主立った神々は「立替」を言われる。このギャップは何だ!。なのです。

一つには大本教で盛んに「立替」宣伝はなされましたが、本当の頂点の【国常立尊】は未だ世には出ていないなのです。

今のスピリチュアルの世界とは、【雑魚】に等しい霊がミカエルだとかガブリエルだと勝手に天使名を名乗って出て来ています。もし私の前に出てくれば、とっちめてやります。そうした天使は恐くて私の前には出て来ないでしょう。
そうした【雑魚】霊を一掃しないで【世の立替】など無理だと解ります。ならば、その前にとんでもない大掃除がなされる可能性があると言わざるおえないのです。


この地球環境を元に戻すなどは、もはや不可能に近いでしょう。いくら天に向かってお祈りしても、元に戻せる【臨界点】を既に超えています。私達は神社に鎮座されている御神霊に天災が起きないように願っても、その神社そのものが地震などによって潰されたり津波や洪水で流されて行く様を見て来ました。世に出ている神々にそうしたエネルギーを阻止するだけの力はないのです。


もう人類に残された時間は、ある意味カウントダウンが始まっていると言えます。さりとて、私達人類の手で地球環境を元に戻すことはモウ出来ないのです。

しかしながら、私が紐解いたのは日本語による【言葉の仕組】であって、そんな言葉の仕組など「二束三文】程度のものだとのお叱りはあるでしょう。悔しかったらギャフンと言わせる神力を見せて見よ!。です。
​私が子供の時に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、そなたには最後の最後の時でないとこの私の力を授けないと言われて来ました。そのことに関して、旧約聖書の神と名乗る声は、【私は、肉体のそなたの肉を相手に斬らせて、相手の骨を絶つ】と言われただけなのです。私がそうした者達から肉を斬られても我慢していろです。後の決着はこの神がするです。

​それは豊受姫が私に言われた「貴方の言葉の教えを聞けぬ者は、如何なる神であっても最後に天帝により処罰される」なのでしょう。で、私は何の力もないので、そうしたあざ笑いの言葉を甘んじて受けます。

一般的に言えば、自分に何の神力を与えない霊など信じてはいけない霊だとなります。自分に神力を与えてこその神だからです。もしかすると、私は欺しの霊に踊らされているのかも知れません。しかし、私は言葉の仕組は【万物の創造神】がなされたことであり、人類は万物の創造神の降臨によって【新しい天地】の世界に向かうと思っているだけなのです。

豊受姫は人類は1人残らず死ぬと言われましたが、自分は霊となってもこの地球に永遠に留まるのだと主張するならば、不毛と成った地球に留まることも不可能ではないかと考えます。

現実に一部の霊能者達は、その時に備えて【地下帝国】の建設に入っているからです。このグルーブはある【マーク】を使いますので判断は出来るのです。この派に属する霊能者は、私がこの世を去れば五次元世界が来ると言います。反対派の動きを見ていれば、まったくの妄想により起きているのではないぐらいは解るのです。


第××項 日月を従える


私が見た霊的に見たビジョンは、豊受姫の神が私に言われた【人類に助かる道などは無い】と同じ意味なのかは解りませんが、その光景ならば人類に今の世で生きる道はどこにも存在しないでした。だが、この世で助けることは出来なくても、未来の世(みろくの世)に向かう道は存在しているなのです。

それはこの地球上で人類を救うのではなくて、私達が知ることがなかった科学でも解明出来ない高次元界に在るとされる別の地球に移るビジョンでした。その世界は天人世界であり、これまで宗教では予告された【神の御国】世界と言えます。だが、それはこの地球上ではないのです。今の地球とまったく同型の【新しい地球】なのです。

新しい地球を見せられた方は私以外にも多々存在されますが、私も含めてそうした方達は全て霊界の【妄想】にやられていると言われれば、そうなのかも知れません。ただ、霊的世界のことは多数決の論理はあまり意味がないのです。自分の霊格が低いと、寄って来るのは低級霊だけだからです。


スピリチュアルでは盛んに【何もしなくても、この地球が自然に五次元界に上がる】と説かれています。それならば、同じ【今の世は終わる】であっても何の問題も生じないでしょう。突然、ある日から【五次元世界に上がりました】と言っていればこと済むからです。

しかし、今の世の人類の魂は【五次元世界】用の肉体たる霊体をまとってはいないのです。魂だけなばさらなる高次元界にも行けます。問題は自分の霊体がそれ即応するかなのです。何かと言えば「日月神示」の半霊半物質を持ち出す方がありますが、そうした半霊半物質体は白狐霊などに見られますが、今の私達の肉体ではそれは不可能な話です。


そもそも白狐霊達から見れば、【人間の分際で頭が高い】と叱責が出るほどで、人間は白狐霊以下と見なされています。高次元の神の世界に入れる様な人は僅かしかおられないからです。行者でも白狐霊を使う方と白狐霊に使われている方があるのです。御利益ください。御利益ください。そんな人間は白狐霊以下だからです。

白狐霊に使われている行者では、白狐霊の段階を超えることは出来ません。白狐を神様と仰いでいれば、それが神様と呼ばれる存在であって万物の創造神を神として仰いでいるのではないからです。

私の2番目の師匠が私の最初の師匠を霊視して、これは白狐の魂ではないかと私に言いましたが、私も最初の師匠と伏見稲荷山に同行していて、最初の師匠の魂は白狐であると気づいていましたので別に驚きはありませんでした。白狐の世界から今生は人間界に転出して来ていたからです。今生の精進と神界の働きで、神上がりの道に入っておられたなのです。

ある日、私の母親の夢にその師匠が出て来て、楽しい世界がありますので見てみませんかと誘われたので行くと、白狐達が楽しく遊んでいる世界だったと言います。私の母親は夢の中で、その師匠に楽しい世界ではあるけれども自分が行く世界ではないと断ったと言います。そして、あの先生(師匠)は白狐だと言っておりました。その師匠は幼い頃から白狐と遊んでいたのです。


子供の私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声は、私に【この地球は宇宙船と同じ事であり、この地球号とまったく同型の宇宙船が存在している。人類はその新しい地球船に移る】と告げられておりました。
その新しい地球に関しては、聖書の【ヨハネの黙示録】に記載されており、一部の霊能者の方達も【新しい地球】【もう一つの地球】と説かれていますが、高次元の霊的世界には存在しているのです。ただ、それを言う方は一部の方にしか過ぎません。
為には、霊的世界に関してもっと深い内容が説かれていなければ、その時になって私達は迷うことになりかねません。元々、人は死ねば終わりではなくて霊界と現世の往復を【輪廻転生】を通じてやって来たからです。

私が現在住む「綾部」と呼ばれる土地で、明治25年(西暦1892年・いち早くに)大本教と呼ばれる宗教が誕生し、世の大立替を大宣伝をしました。しかしながら、その大立替とは人類の1/3だけが生き残るというものでした。
ところが私に示されたのは人類は1人残らず死ぬというものであって、一度は死んで、次に嬉し嬉しの新しい世に復活するでした。大本教神諭の内容とは違っているのです。問題は聖書にある第一の死。そして次に最後の審判としての「第二の死」を乗り切れるかどうかなのです。

それは私に豊受姫の神が【今の世の人類は1人残らず滅びるが、その魂は霊的世界にと渡って行く】と言われたのと同じ事であり、それが事実であれば、あまり大本教の人類の1/3だけが助かる立替論に固執するのは良くないとなります。全人類の1/3の枠決めではなくて、その世界に入れるかどうかの資格試験に等しいものかと推察出来ます。それは既存の天国の門をくぐるのとさほど違いはないのです。ただ、一部の宗教では今日まで誤った考え方をして来ました。我が宗教を信じれば天国だ!。異教徒は地獄に墜ちろ!です。

天国行きは、本人のこの世の生き方次第であり、宗教の教えそのものとは関係ないのです。【自分の良心に基づいて、悔い改めるが重要なのです】。ですから、全ての人にその資格があれば全ての人が行くでしょう。大本教で説いたことは、この地球上を舞台にしたからです。まだ、真実を全て告げる時期でもなかったと言えます。


​要は創造神が乗りなさいと言われる【ノアの箱舟】に乗るのか?。それとも、そんなバカな話など信じないと拒否して【ノアの箱船】に乗らないかです。
​なまじ霊能力がある人ほど自分の霊能力に過信して、【ノアの箱舟】には乗らないと思われます。


人の魂はこれまで【輪廻転生】をしており、生まれて死んで、生まれて死んでを繰り返して来ています。この世を去るとは、単に次に生まれてくる手段でしかないのです。死ぬとかこの世の終わりを何も恐れるとか怖がることではないのです。
問題は、今回が魂の世界にとっての【最後の審判】であり、その審判によって永遠に霊界における魂の地位が決定してしまうことなのです。それは永遠に霊界での地位が固定されるのであり、大本教神諭に【こんなことならば、どうして前もって教えてくれなかったのかと】ありますが、後悔先に立たずになってしまうのです。

霊能力がある方からは、この地球に第三次世界大戦が起きて核戦争で人類が滅びるビジョンが語られます。また、地球のポールシフトによる天変地異。天から隕石が火の玉の雨と成って落ちて来ると言われます。そうした映像が霊界にありますが、私が見たビジョンの人類の滅亡とは「核戦争」などではありませんでした。ただ、そうした破滅のビジョンが起きないとは誰にも言えません。ビジョンはビジョンであり、どれが正しいビジョンなのか?。解らないとは言えるからです。
【Xデー】に向かって世界各地に天変地異は起きるでしょうが、そうした天変地異でこの世が終わるでは無いが私が見たビジョンです。その終わりの日は、突然に全ての【時間】が止まるであって、時が止まれば、全ての重力や動力がある物は停止するなのです。人間も動物も植物も全てその動力が停止する霊的映像でした。


これまでの論理は、地球を初めとして万物が動いていることに関して、何の意味も感じていなかったなのです。

私達は時の経過を【年月日】と呼びます。日月の月は「月」であり、「日」は太陽です。日本神話でも太陽と月は語られます。世界の神話も同じです。だが、そこに「年」の感覚が抜けています。「年」は【念】によって左右されているからです。だからそこに「ネン」と言う言葉があったと言えます。
太陽神を天照大御神と唱えても、月神を月夜見尊と唱えても、誰も時の「年」を意味する神の存在に気づかなかったと言えるのです。岡本天明氏から【日月神示】なるものが降ろされましたが、太陽(日)や月のことばかりに目が行って、時を意味する【年月】の日月の感覚が抜けているのです。

それは全ての命ある万物は宇宙の【念(意識)】によって成り立ったからです。その宇宙の念(意識)は【想像】とか【創造】とも呼べます。その創造の働きが【言葉】と言えます。
仏教においては「無」から「有」が生じたとしますが、宇宙の初発に何の【念】も生じなかったならば、それは何時まで経っても【無】の世界であったのです。宇宙の意識が無から有を生じさせたのです。


一部の霊能者の方達は、人類が地球の【想念】を汚したことにより、この地球が汚されて【念】のしっぺ返しを受けると言われていますが、それが原因の可能性はあるのかも知れません。

​伊勢神宮に行ったら天照皇大御神が出て来られた。月夜見尊が出て来られた。それでは何の気づきもなく【月日】の概念を失ってしまいます。


スピリチュアルや一部の霊能者達は、【何をしても神の愛で赦されます】の一辺倒ですが、そこには【悪しき想念の汚れの浄化】が何一つ入っていません。人類が出した悪しき想念によって、人類は滅びかねないのです。

何をしても神の愛で赦されるであれば、霊的【浄化】など最初から必要が無いことになります。

世には【霊媒質】の方達が多数居られます。そうした霊媒質の方達は、他人の汚れた想念を被って非常に苦しんでおられます。そうした【想念の汚れ】たる事実を知るならば、何をしても神の愛で赦されますと説くのは、創造神の目からすればもっとも赦しがたき者達となります。【カルマ】の恐ろしさすら何も理解していない者なのです。

自分には霊が見える。世に出ておられる神々と会話が出来る。されど、最後の審判が起きるとすれば、そうした神々によるものにはあらず、閻魔大王たる創造神によってなされるのであって、世に出ておられる神々ではどうにも出来ないのです。

それは、全ての人の魂の核には天帝の分魂である【直霊(良心の働き)】が備わっているからです。


第××項 果たして時間の停止などあり得るのだろうか?

霊界では【時間と空間】の概念が無いと言われています。それが、何万年前と思われる霊が出て来たりする因とは言えます。また、霊は物質界を抜けて行きます。この時間と空間の概念が無いと言うことは、肉体を保持している身だと絶対に感覚としては解りません。掴めません。ある意味、肉体は不自由であり【型】に縛られるからです。
俗に【幽体離脱】と呼ばれる現象があります。自分の肉体から自分の意識(魂)が抜けて行きますと、この世の物質体を全て通過して行きます。それを体験する自分に驚愕することになります。そうしたことの一つがお塚信仰などで解る石の中にも霊が宿るなのです。石の中にすら霊は身を置けるなのです。石とは「意思」なのです。


また唯一教でもお釈迦様でも【偶像信仰の禁止】を言われたのですが、偶像には霊が宿るとなります。霊は石でも樹木にも金属にも宿ることが出来るからです。神社のお札にも宿ります。何故に偶像信仰はいけないと説かれたのか?。そこには偶像には霊が宿るがあるからです。観音様の像を拝していると、それは蛇霊であったりします。

私が出したブログに【自分を観音菩薩として祀れと言った大白蛇霊】を書いていますが、霊はどのようにも変化して来るのです。

単に偶像に宿った霊を拝しているであると、自己の魂の中に宿る神性を知るのは難しくなって来ます。何もかも物質に宿った【外在神】頼りになるからです。​外在神に頼ってしまいますと、自己に内在する神性が目覚めなくなるのです。

人は自分は神の現身(うつそみ)ですと威張ってください

ただ、それには神らしく振る舞わないといけないのです

かってのSFで、宇宙船やロケットなどで宇宙空間に身を置いてしまうと、肉体の歳を経ないと言われて来ました。私達が歳を取るとは、時間が存在する世界に身を置いているからであり、地球を離れると歳を経ないなのです。日本のおとぎ話の龍宮城に行った【浦島太郎】の話などはそれを語るのです。
私達は【時間】の世界に生きています。だが、宇宙空間(霊的世界)に入ってしまうと時間が存在しなくなります。実際には時間が存在しないのではなくて、この世の時間とは霊界の時間の流れが違って来るなのでしょう。そこに何故?が出て来ます。

私達が知る「時間」とは、地球が【自転】しているからに過ぎません。地球が一回自転すると「一日」です。太陽の周囲を一回りすると「一年」です。では、地球が自転もしなければ、太陽の周囲を一回りもしなければ【時間】は発生しないとなります。 今日まで科学者達は何故に地球は【自転】しているのか?。その意味を深く考えてはおりませんでした。私は【神の時計】を見せられたことにより、そこに深い意味を知ったと言えます。


大本教霊界物語には【主の神は35万年前に御引退】とあります。この世の一年は「約8765時間】です。神の時計では、この世の一年は神界の一時間にしか過ぎません。その35万年を8765年間で割ると約【40】となって来ます。

その「40」の数字が持つ意味とは、モーゼの荒野の40年間、イエスの悪魔を退けた荒野の彷徨いたる「40」日間と数字的な関連が出て来ます。主も「40」の彷徨いから出られる時が近づいているなのです。

私は大本教の出口王仁三郎聖師姿の霊から「アラー]神を示唆されました。日本語のアイウエオは、「ア」の門を出てから[ラ」に至る「41」で、【アラーとかアモン・ラー】。その「ラ」は大本教神諭予告にある「九つ花」の真ん中であり、今はその「ラ」を閉じているとなります。出口王仁三郎聖師が世に出された【ス】の神ではないのです。

大本教の出口王仁三郎聖師は自らが出した【ス】の神が本物ではなかったので、大本教霊界物語の題十三巻(アイウエオでスを意味する)に、この大本教に現れた変性女子はニセ者だと告げられたのです。【みの尾張の国から】高山に向かうのは国道「41」号線。

多少はそうした仕組を理解した神霊が、飛騨高山に「大神殿」を創っています。しかし、それが【良心神】を告げる為のものであったことまでは理解していなかったようです。
こうした言葉の仕組をする為には、大本教神諭は「3000」年の月日が掛かったとします。

その仕組の為だけではないでしょうが、地球は「自転」をして、一年が8765時間の必要があったとなります。また、今の世が【七】の世だと知らないと、みろくの【五六億七千万】の意味も理解出来て来ません。私はどうして【五六億七千万】だと?。既に仏教で説いた「末法の時代」に入っているのにと首を傾げていました。日本神話は【神代七代】として、今が七(質)の世ですと教えてはいます。ここが解ると「五六億七千万」の意味も解けて来るのです。

私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と名乗る霊声は、【日本神話はこの私が創作させたものであって、実際の話ではあらず。何故に私がそうした作為をしたのか。そなたは読み解け】と告げられました。

みろくの世は「永遠の世」と予告されて来ました。その「永遠の世」の為には、この地球が「自転」を止めるなります。

しかし私が見た霊的ビジョンは、みろく世の為にこの地球が「自転」を止めるのではなくて、地球が自らが「自転」する為の「エネルギー」を失う問題から、この地球が自転を停止してしまうなのです。その時、この地球の【重力】は全て失われるとなります。その時期が解っているのは創造神のみかも知れません。



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