継子である長男を先妻の実家の跡取りにして、
自分たちの家は長女に継がせて婿をとろうという祖父の提案を受けいれた祖母は、
以後、長女を跡取り娘として恥ずかしくないよう厳しく教育する。
第一子の男の子が疫痢で亡くなったのだって長女が生まれて忙しかったせいなのだから、
長女には亡くなったお兄ちゃまの分まで頑張って貰わなければ。
祖父が論語の一節から名前を付けた長女・温子は、
運良く勉強がよくできたためなお一層、祖母の過大な期待を一身に背負うこととなり、
子どもらしさを失って大人しい内向的な性格になっていった。
その当時は末っ子だった次女は打って変わって甘やかして育てた。
祖母が大好きだった恋愛小説のヒロインの名前を付けた次女・須磨子は、
人形のように可愛らしく着飾らせ、
勉強も習い事も途中でやる気がなくなって放り出しても特に怒ったりはしなかった。
そのため次女はいつも母親にまとわりつき、
気に入らないことがあると癇癪を起こすわがままな小さな女王様になっていった。
ちなみに、たいら母は祖母の第四子で三女。
祖母が長女を跡取り、次女を愛玩子と決めた後にできた子どもだった。
ここからはわたしの勝手な推測なのだが、
祖母は第四子を妊娠した時、心のどこかで男の子を期待したのではないだろうか。
時代的に長女に婿をとらせるより、男の子を産んで跡取りにする方が普通だし、
他の姉2人との扱いが生まれた時からあまりにも違うのが不自然なので。
きっと期待が大きかった分、女の子だったことで激しく落胆したのだろう。
たいら母が生まれた時、祖父はきな臭くなった中国大陸に出兵して留守だったので、
祖母が名前を付けなければいけなかったのだが、
「松田通りに住んでいるんだから松子でいいわ」
と思いっきり適当に命名しようとした。
近年のファッションドールなら通りの名前を冠したおしゃれな"ジェイドール"シリーズもあるが、
当時、通りの名をとるのは道端に捨てられた孤児の命名方法だったので、
ちょうど出産祝いに来ていた祖父の知人の国文学者の某氏はそれを聞いて仰天し、
自分が名付け親になると申し出、古典文学の一節から三女を潔子と名付けた。
この時点で祖父母の家の末っ子は三女の潔子、つまり たいら母になる。
しかし、甘やかされる末っ子的なポジションには、
次女・須磨子がどっかりと腰を下ろしたまま動かなかった。
頑健だった祖母だが第四子の出産で体調を崩していたため、
長女に跡取りとしてのスパルタ教育を施し、次女に甘えられるだけで手一杯。
そこでちょうど女学校進学のために上京してきた一番下の妹(後の吉祥寺の大叔母)に、
三女の子育てをお得意の丸投げにしてしまった。
こうして潔子は生まれながら母親から放置されることになってしまう。
と言っても、ちっとも淋しくはなかった。
吉祥寺の大叔母は女学校が忙しくなって次第に足が遠のいてしまうが、
潔子の周りには子守役のお手伝いさん他大勢の使用人がいた。
お兄ちゃまみたいに疫痢になっては大変だから使用人の家での飲食は禁止と言われても、
平気で馬丁さんの家に遊びに行って、奥さんお手製のぼた餅をご馳走になってくる。
恋愛禁止という就業規則がある子守役のお手伝いさんが、
夜中にこっそり抜け出して逢い引き(今で言うデート)するところに付いて行っては、
相手のお兄ちゃんにお祭りの屋台でおもちゃを買って貰う。
跡取り娘として取り澄ました長女・温子は使用人とは親しまず、
次女・須磨子はわがまま勝手を言って使用人を振り回すのみだったので、
このように異様に調子よく使用人たちの間を泳ぎ回る潔子を姉たちは、
「潔ちゃんは使用人の子!」
と揶揄したが、当の本人はどこ吹く風と運転手さんに、
「お車洗うの手伝ってあげるから、後でこっそりドライブに行こうよ」
とねだったりしていた。
ログインしてコメントを確認・投稿する