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2017年06月02日21:51

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《LIVE》ソル・ガベッタ

【収録曲】

1 エルガー: チェロ協奏曲 ホ短調 op.85
  ソル・ガベッタ,サイモン・ラトル&BPO
2014年4月20日,バーデン・バーデン祝祭劇場

2 マルティヌー: チェロ協奏曲 第1番 ニ短調 H.196
  ソル・ガベッタ,クシシュトフ・ウルバンスキ&BPO
  2014年5月23・24日,ベルリン・フィルハーモニー

Sony Classics 88985350729(ライブ)


ソル・ガベッタがエルガーとマルティヌーのチェロ協奏曲に挑んだ一枚。チェロ協奏曲の新しい世界が拓けるような気がして購入したCDだ。ガベッタのチェロ独奏に加え,BPOの管弦楽,ラトルとウルバンスキという贅沢な顔ぶれによる演奏という一面も併せ持つ。

このディスクがリリースされたのは昨年の11月18日。その間,演奏会が続いたためこの演奏について書く機会が見つからなかったという事情もあるが,何をどう書けばいいのか見当がつかなかったため今まで放置していたというのが正直なところだ。一時はこのCDについてのコメントを書くのはパスしようかと決心しかけたこともあったが,そう割り切ってしまうには心に引っかかるものがあった。それで,この一週間,集中的に聴いてみて気持ちに区切りをつけようと考えた。

エルガーとマルティヌーの作品が地味なせいなのか,それとも演奏に精彩が欠けているためなのか,相変わらずこのCDについて書くのは難しい。ベルリン・フィルとの演奏ということで,ガベッタが萎縮してしまったという可能性も完全に否定し去ることはできないかもしれない。エレーヌ・グリモーと共演した「DUO」というディスクと比較すると,全体的に表情が硬く,造形も彫琢が浅いように思う。なんとなく小さくまとまり過ぎていて,不完全燃焼を起こしているような印象を受ける。頭の中で作り上げたイメージが先行して,自発性に乏しい演奏に終始したようでもある。

一方,地味な印象を受けるのはチェロ協奏曲の宿命なのかもしれないとも思う。ヴァイオリンやピアノと違い,チェロを主役にして,華やかな作品を書くのは至難の技だろう。そして,細部まで書き込まれた20世紀の音楽にありがちな傾向,つまり,息苦しさを感じさせるほどの緻密さがその要因であるとも考えられる。綿密に織り上げられたテクスチャーを演奏する側が消化吸収し切れていな事情が影響している可能性もある。

2曲もと目立たない作品と言えそうだが,マルティヌーのチェロ協奏曲の方がより色彩感に富んだ音楽と言えそうだ。どことなくヤナーチェクを思わせるチェコ音楽独特の響きが彩りを添え,くっきりとした隈取りを与えている。そのせいか,演奏自体もより活き活きしているような印象だ。ウルバンスキがタクトを執っていることも関係がありそうだが。

エルガーのチェロ協奏曲は,イギリス風の渋さが全編を覆う作品のようで,ある意味取りつく島もない。ラトル指揮のベルリン・フィルが織り上げる目の積んだテクスチャーは,オーケストラの技としては見事ではあるが,もう少し風通しの良いダイナミックな演奏が「威風堂々」の作者にふさわしいスタイルなのではないかと思う。ガベッタもラトルとBPOに引きずられてしまい,彼女の持ち味を発揮することなく終わってしまったのではないだろうか。ただし,この演奏をホールでオーディオマニアの視点から聴いたら,さぞや面白かったであろうことは想像に難くない。

今の時点では,何かすっきりとしないものが残ることは否めないが,20世紀初頭に書かれた民族的色彩がやや濃厚なチェロ協奏曲が持つ可能性,つまりロマン派の音楽と現代音楽との融合が指し示す世界に触れたように思う。このCDを昨年11月に聴いた時,切って捨ててしまうことに抵抗を感じた理由が,これなのではないかと思った。
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