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2017年05月28日12:56

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しょうもない法律は無視すべし、女は買うべし、もしくは姦すべし

個々人は様々な点で違いがあるにも関わらず、味噌も糞も同じとして扱おうとするのが世の中の決まり事で、その代表格がイデオロギーを形にした法律である。

売春は最古の職業とはよく言われるが、売春について暗いイメージを持っている人達がいる。それは昭和三十一年(1980年)五月に売春防止法が定められてしまったためであるが、この法律の目的として第一条で
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この法律は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照して売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによつて、売春の防止を図ることを目的とする。
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とされた。この法律に基づいて赤線が閉鎖されたのは昭和三十三年(1982年)三月三十一日であるが、日本において公認の売春制度が始まった天正十八年(豊臣秀吉の時代)から四百年近くに渡って続いてきた伝統文化が、売春防止法というとんでもない法律によって絶たれた。

つまりは第一条で示されている「性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすもの」は取ってつけた大嘘なのであって、「売春を悪とみなす」イデオロギーを法律として定めるに当たっての能書きに過ぎず、売春防止法は米国の禁酒法と同様な【道徳法】なのである。

この売春防止法の制定によって、売春で生計を立てていた売春婦は失業した。その数は全国で五万五千人(登録者された女のみ)だったと言われる。なので登録されてない女(所謂、青線での売春従事者)を含めれば数倍の数に膨れ上がるとみられるが、なんでこんなしょうもない法律を作ってしまったかといえば、ある事件がきっかけであった。

その事件とは、昭和二十九年八月に、鹿児島県の建築会社社長が、県庁の役人に若い女をあてがって、工事を貰っていたことが明るみに出たというものである。女性の数は判明しただけでも二十四人で、最年長は二十三歳、最年少は十五歳だったという。この十五歳の女は三人いて、中学生でおかっぱ頭だった。
一回のアルバイト料は千五百円で、少女は相手が県の偉い人だと知って、誇りに思うようになり、将来への記念として相手をした客の名前を前部メモに控えていたという。因みにこれら女たちの相手になった役人は、県の計画課長や建築課長補佐など十人だった。

それまで売春防止法は度々国会に提案されたが、いずれの場合にも取り上げられることはなかった。しかし昭和三十年に社会党の藤原道子議員が、少女の人権を踏みにじった典型的ケースとして国会で取り上げたために、売春防止法を必要とする機運が一気に高まり、翌三十一年の成立となった。

法律で売春は禁止されたものの、形を変えて生き残ることになった。それはトルコ風呂(今で言う、ソープランド)で、赤線が廃止された昭和三十三年には都内だけで三十三軒、全国的には100軒のトルコ風呂が新設されたという。
しかし重要には到底追いつかず、廃止に纏っての犯罪も発生した。東京都江東区で麻雀帰りの工員が放火して捕まったが、この男は週に一回づつ必ず女を買っていたのに、赤線が全発されたために、麻雀でウサを晴らしていたが、イライラがつのって、放火するに及んだ。

売春防止法を制定しても売春が一向に無くなりそうにないのは、人間の欲望を無理矢理に押さえ込めるという蒙昧な考えが大本になっているためである。同様なことは禁酒法についても言えるが、禁酒法は早々に廃止された。
それに対して売春防止法は、制定された時代とは性道徳が大きく変化し、社会の性風俗も異なってるにも関わらず、廃止しようという声の高まりはない。本来ならば「姦通罪」と同様に廃止すべきであるものの、古臭い法律が今でも生きている。

なのでこんなしょうもない法律は無視されて、少女は売春をし、また男性は少女を買い、機会を見つけて姦すというのが現代の風潮になっているわけで、つまらん法律で欲望を縛れると思っている馬鹿者たちは嘲笑われているのである。



JKビジネス 違法な「裏オプ」
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