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2017年05月22日09:54

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渡辺和子「面倒だから、しよう」



渡辺和子「面倒だから、しよう」より。

面倒だからする

大学で「道徳教育の研究」を担当していた時のことでした。学期末テストの監督をしていた私は、一人の4年生が席を立ち上がってからまた何か思い直して座る姿に気付きました。
90分テストでしたが、60分経ったら、書き終えた人は退席してよいことになっていたのです。

座り直したこの学生は、やおらティッシュを取り出すと、自分の机の上の、消しゴムのカスを集めてティッシュに収め、再び立ち上がって目礼をしてから教室を出て行きました。

私は教壇を降り、その人の答案に書かれた名前を確かめたように覚えています。嬉しかったのです。ちょうどその頃(今もそうですが)、教えている学生たちと、「面倒だから、しよう」という、ちょっとおかしな日本語を合言葉にしており、この4年生は、添えを実行してくれたのでした。

「生きる力を育てる」ということが、教育の世界で叫ばれています。このむずかしい社会を生き抜くために大切なことなのですが、“よりよく”生きる、“人間らしく”生きる力でなければいけないのではないでしょうか。自分だけがお金を儲け、権力の座に就き、立場を守ろうとする、そのためには、他人はどうなってもいい、嘘も平気でつけば、人を欺いても構わないと思っている人が多くなっているように思えます。

「お金儲けして何が悪い」「お金で人の心も買える」と、拝金主義をはっきり表明した人たちもいて、このような考えが弱肉強食の社会、格差を拡げる世の中を助長しています。お金が大切であり、必要なものであることは、長い間、管理職をしていて、しみじみ経験しています。でも、お金の多寡(たか)が人の心の、幸せの尺度であり得ないことも知りました。聖書にある通り、「人はパンだけで生きるのではない」のです。自分自身の弱さを知りながら、情欲に打ち勝って、人間らしく、主体性を持って生きる。心の充実感で生きるのです。

人には皆、苦労を厭い、面倒なことを避け、自分中心に生きようとする傾向があり、私もその例外ではありません。しかし、人間らしく、よりよく生きるということは、このような自然的傾向と闘うということなのです。したくても、してはいけないことはしない。したくなくても、すべきことはする。自由の行使こそは、人間の主体性の発言にほかなりません。

消しゴムのカスをそのままにしておくのも、片づけて席を立つのも、本人の自由です。しかし、よりよい選択ができる人たちを育てたい。安易に流れやすい自分と絶えず闘い、面倒でもする人、倒れてもまた起き上がって生きていゆく人を育てたいのです。



渡辺和子
★ノートルダム清心学園理事長。
昭和2年生まれ。教育総監・渡辺錠太郎氏の次女、9歳の時に2.26事件で父を目の前で殺害される。18歳でキリスト教の洗礼を受け、29歳でノートルダム修道女会に入会。
アメリカでの修練ののち、36歳という若さで岡山のノートルダム清心女子大学学長に就任。長年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導する。
昭和59年にマザー・テレサが来日した際には通訳を務めるなど多方面で活躍。著作も多数。



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