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2017年05月14日22:13

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牛田智大 ピアノ・リサイタル

【プログラム】
1 リスト: 愛の夢第3番
2 ショパン: ノクターン第13番 ハ短調
3 ショパン: 幻想即興曲 嬰ハ短調
4 ベートーヴェン: ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」
5 J.S.バッハ(ブゾーニ編): シャコンヌ ニ短調
      〜〜〜 休  憩 〜〜〜
6 シューマン(リスト編):「献呈」
7 リスト: パガニーニ第練習曲集より第3曲「ラ・カンパネッラ」
8 リスト: ピアノ・ソナタ ロ短調

(アンコール)
ラフマニノフ: パガニーニの主題による狂詩曲より第18変奏アンダンテ・カンタービレ
プーランク: 15の即興曲より第15曲ハ短調「エディット・ピアフを讃えて」
 
牛田 智大(Pf)

2017年5月13日(土),13:30開演,札幌コンサートホール

昨日の午後,初めて牛田智大のリサイタルへ行ってきた。このピアニストの演奏は一度聴いてみようと思っていた。それ以上に最近,優先度の高い演奏会が減ったので,このリサイタルの順位が上がったという事情がある。

演奏会場は8割弱の入りで,予想していたよりも若干少ない。そして,会場を見渡すと,牛田智大がおねえさまやおばさまたちのアイドルであり,ピアノを習っている子どもたちのヒーローであることを見て取れる聴衆が圧倒的多数を占める。こちらは,プログラムなどからみてほぼ予想通り。

この予断と偏見が全くの的外れだとは思わないが,このステージを聴く限り,それとは異なるこのピアニストの一面を窺うことができた。つまり,彼がこうしたイメージを振り払おうと奮闘する姿である。彼が思い描く出口戦略がどのようなものか具体的ではないにせよ,おそらく彼が目指しているであろう脱皮を可能にする資質持ち合わせている点も垣間見たように思う。

このピアニストが大勢の人たちから支持を受ける理由のひとつは,十代の前半でプロ・デビューし,かつ,幼いながらも甘いマスクの持ち主であり,母性本能をくすぐるピアニストであることだろう。だがそれ以上に,彼のピアノ演奏が秀でていることが,多くの人にアピールする点だ。牛田智大のピアノの音は,想像以上に艶やかで粒が揃っており,とりわけ高音域でこの傾向が顕著だ。ペダルの使い方のせいだと思うが,低音域での音の膨らませ方も巧みだ。解釈や表現で個性が際立つというほどではないにしても,聴取の多くが望むような演奏であることは確かだ。名曲を美しい音で弾いてくれるというのがこのピアニストの魅力なのだろう。

こうした演奏の好例は,リサイタル冒頭の曲目「愛の夢第3番」(リスト),アンコールで弾いた「アンダンテ・カンタービレ」(ラフマニノフ)や「エディット・ピアフを讃えて」(プーランク)だ。牛田のタッチから生まれるこの上ない美しいピアノの音色に加え,練りに練られた演奏からは牛田の優れた牛田の才能があらわれている。

とはいえ,ショパンの「ノクターン第13番」から「幻想即興曲」,そしてベートーヴェンの「月光」へとプログラムが進むにつれて,左手の低音部がぶつ切りになって,音楽の流れを妨げているのが気になった。さらに,ピアノの低音部が膨らみ過ぎて,演奏の輪郭自体が曖昧になりがちだ。強い打鍵で音が濁ることを避けるため,ペダルの操作で低音のエネルギーを解放する技法が裏目に出たのではないだろうか。幼い頃に身につけた,小さな身体でグランドピアノを鳴らすテクニックから抜け出すために苦闘している最中だと見えた。

プログラムの中で,最も綻びが目立ったのはバッハの「シャコンヌ」だ。ブゾーニの手が入っているとはいえ,この曲のイメージからは相当隔たっているような印象である。その上,バッハの原曲のイメージからかけ離れているばかりか,この曲の演奏そのものが空中分解を起こしかねないほど,まとまりに欠ける演奏である。対位法が複雑に絡まり合うこの作品で,一部のフレーズに集中していると他のパートが疎かになる,そのような演奏だった。その結果,バッハの精緻な対位法の再現がうまくいかないとともに,作品の統一感も失われる。当然,バッハの作品の崇高さや深淵さも表現できない。聴衆の拍手も儀礼の範囲を出ていなかったのも,素直な反応だろう。

「献呈」も,シューマン特有のメロディー・ラインの美しさがそれほど感じられない。リストの「ラ・カンパネラ」も十分に歌っておらず,輝きが不足していた。これら2曲の演奏が不調だった理由は,「シャコンヌ」の影響を引き摺っていた可能性は排除できないにしても,集中力を切らしてしまったためだろう。

リストの「ピアノ・ソナタ」を演奏する前に,リサイタルを一時中断して,牛田智大はこの作品の構成について自説を披露した。この作品は,ファウスト,メフィスト,神そして女性的なもの(マルガレーテのことだろう)という,4つのモチーフで構成されている。そして,これらのモチーフがお互いに絡まり合いながらドラマチックな音楽を展開する,一種の標題音楽みたいなものだ考えれば,この作品を楽しんで聴くことができる。こういった趣旨の話だった。このような解釈は初耳だったが,演奏者ならではの解釈ではある。

この作品の演奏はプログラムの中で最高の演奏だったばかりか,これまで聴いたリストの「ピアノ・ソナタ」の中でも最高の部類に属するものだった。実によく熟れた「ピアノ・ソナタ」の演奏で,牛田との抜群の相性を物語っているようである。頭脳を使わずに,霊感と感性だけを頼りに弾いているような自発性に富む演奏である。全てが自然で,この作品が牛田智大の身体を借りて聴衆に語りかけるような錯覚を起こす。牛田のピアノの丸みを帯びた音の粒立ち,力強さ満点のダイナミズム,若々しさを湛えたキレの良さ,このピアニストの持ち味を十全に出し切った乾坤一擲の演奏である。演奏の前に自説を披露しただけのことはある。

このリサイタルを聴く限り,牛田智大はヴィルトゥオーゾ・タイプのピアニストなのではないかと思った。この方向に進むことで,彼の持ち味を余すところなく発揮できそうな気がする。こうした点に的を絞るにしても,成し遂げるべきことは多いだろうが,まだ18歳という若さである。時間も柔軟性もあるだろう。

問題はこのような方向転換に,どれくらいのファンが付いて来てくれるかだ。おそらく,大部分の人たちは脱落するのではないか。個人的な偏見を隠さずにいうと,この日の来場者は実のところ小難しい本格派のピアニストなど期待していないように思うからだ。かといって,今までの路線を突っ走るわけにもいかないだろう。40歳を過ぎても,この日のようなプログラムでは飽きられてしまう。彼も本当に難しい時期に差しかかりつつあるのではないだろうか。
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