運転するドライバーに「そんなに急いでどこへ行くの」と、注意を呼びかけたポスターを見かけます。イライラ、セカセカ、なにかと気ぜわしく動き回っている人も少なくないようです。
そんな方に、次の「4秒を待てる自分に」というお話しは大変参考になると思います。
渡辺和子さんの講演録からです。
ある方が定年後、ご自分を木こりにたとえて、おっしゃった言葉があります。
「私は木を伐るのに忙しくて、斧を見るひまを忘れていた」。
自分は1分1秒を惜しんで仕事をしてきたが、定年を迎えて、木を伐ってきた斧、つまり自分自身を見つめてみると、刃がボロボロに欠けている。
なぜ自分は、木を切る合間に、斧に油をさしてやらなかったのか、研いで輝かせなかったのか、という後悔を交えての述懐でした。
「忙」という字は「心」を表す「りっしんべん」に「亡」と書きます。
あまり忙しいと、心を亡ぼしてしまうということです。
「亡」の下に「心」をもってきますと、「忘」という字になります。
あまり忙しいと、本当に大切なことを忘れて枝葉末節にこだわってしまう。また、普段ならば傷つかない言葉で傷ついたり、普段は決して出さないような、人を傷つける態度や言葉を出してしまうこともあります。
私は毎日仕事のためエレベータで4階に上ります。
ある日気がつくと、私はエレベータに乗ったとたんに「閉」のボタンを押してから、階数を押していました。エレベータのドアーは、「閉」のボタンを押さなくても閉まるものです。好奇心から計ってみますと、閉まるまでにかかる時間は4秒でした。
その4秒が待てるか、待てないか。
私は決心しまして、待てる自分になろうと思いました。
エレベータに乗りまして、階数を押すだけで待っている。するとドアーが閉まって、自分の行きたいところに行ってくれる。
「なぜ、そんなちょっとした時間にこだわるのですか?」とおっしゃる方もありますが、時間にこだわっているのではなくて、いつもイライラ、セカセカしている自分になることが怖かったのです。
そして、その4秒が待てる自分になったとき、人様の話を中断することなく、最後まで聞くことのできる自分に少しなれたと思います。
またどなたかに注意をするときに、感情的になるのでなくて、一呼吸おいてご注意申し上げる自分に、少しずつ変わっていたような気がします。
少なくとも、時間の奴隷にならないで、4秒間を自分の意志でもつことができたのです。
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