> 同署は自殺の可能性もあるとみて調べている。
私は自殺そのものは非難しないが、「死に方(手段や場所など)」や環境整備(遺族のケアなど)について最低限守らねばならない条件があると思うし、電車に飛び込むというのは中でも最低の類でいかなる事情であろうと認める気にならない。
だからこの(可哀想かもしれないけれど)迷惑な姉妹には同情できないし強く非難はしたい。
だが、今回言いたいのはそのことではなく、しばしば見かける「このような局面でのこの表現」についてだ。
「の可能性もある」とは、「も」とは、日本語として果たして何パーセントくらいを想定する、射程に収める表現なのだろうか?
このケースで「自殺以外のケース」が常識的に言ってどの程度考え得るのか。
私の感覚ではこの場面を「可能性」で表現するのはとても強い違和感があるし、許されるのはどんなに譲ってもせいぜい「自殺の可能性『が』ある」までだ。
この場合の『も』は、その「可能性」を読者に低く想定させる働きが絶対にあると思うし、そもそも「可能性」じゃねえだろ! と思うところにこの「『も』ある」は、どうしても受け容れ難い。
警察の表現そのままだとしても、新聞社等による表現だとしても。
■女性2人、手つなぎホームに飛びこみ死亡 高齢姉妹か
(朝日新聞デジタル - 04月24日 18:53)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4543080
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