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2017年03月19日22:53

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奴隷を必要とするバカの考えそうな事だ。

■日本の美徳。暴走族をも激変させた「トイレ掃除」の不思議な効果
(まぐまぐニュース! - 03月19日 08:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=240&from=diary&id=4484908

ただただ、気色悪い。

別に、不良が更正したり、生活のリズムが変わったり
周囲に気を配る事が出来るようになる、という
事は別に否定もしない。そういう事もあるだろう。

だが、こうした中途半端な聞き齧り生煮えの
道徳論って、害にしかならない事が殆ど、
なのである。

「一日為さざれば即ち食らわず」が
「働かざる者食うべからず」に
変換されてしまうのが好例と言えるだろう。

トイレ掃除は(当然の事であるが、それが
「トイレである必要性」は実は存在しない)
素晴らしい事だろう。

だが、トイレ掃除をすれば全て改善される、
というものでもない。

最初に教育や、自身の働き方のプラン設計として
トイレ掃除をしよう、と思った人は恐らくは
それを理解しているのだ。
「一つの方便にすぎない」事に。

だが、「掃除道」なんてのは厭ったらしくて
堪らない。

これを書いたバカには「掃除は万能の薬」なのだろう。
それは、致命的に間違っている。
世の中のどこにも、そんな特効薬は存在しない。
トイレ掃除「さえすればいい」なんてバカに
人を善導しよう、などと思って欲しくはないし、
思うべきではない。
こうした悪い意味での「宗教的」理想主義者は
個人的には吐き気がする。

五つの効用、とやらを挙げているが、これも話しにならない。
引用する。

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第1は、トイレ掃除を続けていると、例外なく
謙虚な人になるということ。そして謙虚に物事や
他人に向き合うことができるようになる。

第2に、気づく人になる。普段何気なく使っている
トイレも、掃除をしてみれば、こんなに汚れていたのか、
と気づく。その気づきが人に向かえば、思いやりの心に
つながる。

第3は、感動の心を育む。身の回りのありふれた
トイレ掃除でも、ひたすら取り組むと、こんなに
綺麗になった、という感動が生まれる。
また、その姿が見ている人の感動を呼ぶ。

第4に、感謝の心が芽生える。自分でトイレ掃除を
して見れば、普段使っているトイレや教室なども、
誰かが掃除をしてくれたから、と気づき、小さな事にも
感謝できる感受性豊かな人間になれる。

第5に、心を磨く。掃除に一心に取り組んでいると、
雑念が消え、素直な心になる。

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引用以上。「まぁ、そんな事もあるかもね」くらいの
毒にも薬にも本来ならならない程度の題目であるが、
一番腹立たしいのが、「例外なく謙虚な人になる」だの
「その気づきが人に向かえば、思いやりの心に
つながる」だの「小さな事にも感謝できる感受性豊かな
人間になれる」だの「素直な心になる」と堂々と
トイレ掃除を励行する人間を鋳型に押し込むような
理想を振り翳す醜悪さだ。
何故、トイレ掃除「程度の事」でそのような人間に
なれるか、と云えばプラスαの教育であったりする
だろう。会社や企業であれば、上の立場の者が
率先して範をを示す事で生まれる気づきもあろう。

そして、大事な事はトイレ掃除よりも
寧ろそちらなのだ。それを施す労を惜しむ
怠惰なバカが「それさえ『やらせれば』改善するのだ」と
思い込んでしまうのが、この愚かな記事が勧める
トイレ掃除の正体なのである。

結局の処、欺瞞と怠惰と自己正当化の塊でしかないのだ。

そして、こうした手合いは、決して「上手くいかなかった」事例は
書かないし、平気で虚偽も書く。

このような記載がある。

「この取り組みを率先推進した広島県警本部長の
竹花豊氏は、その実績を買われて、平成15年7月に
東京都の治安担当副知事として招聘された。
竹花副知事は犯罪の多発する新宿を安全、安心な町にして
「新宿から東京を変えよう」と町ぐるみの掃除に取り組んだ。

(中略)

約1年も掃除を続け、街がきれいになるに従って、犯罪件数も
減っていった。平成15年に比べて、翌年の犯罪件数は50%以上も
減少した。客層も変わってきている、と地元の商店街の人は語っている。」

引用以上。

「翌年の犯罪件数は50%以上も減少」?

新宿でか?そんな事あるかい、という訳で調べてみると
(参考URL:
https://www.npa.go.jp/toukei/keiji23/hanzai.pdf)。

「刑法犯の認知件数は、平成14年まで7年連続して
戦後最多を記録していたが、平成15年には279万136件で、
前年に比べ6万3,603件(2.2%)減少し、平成16年は
256万2,767件で、前年に比べ22万7,369件(8.1%) 減少する
など、刑法犯認知件数の増加傾向に歯止」が掛かっている
との事。

ま、確かに犯罪は減少しているが、半減なんて事はないし、
どちらかと云うと平成14年が戦後最多であったから
そこから減少した、というに過ぎないだろう。
一体この「半減」ってのはどこから出たデータなのか?

他にも「神道や仏教でも、掃除が修行の基本として
教えられるのは、掃除が人の精神に及ぼす影響が昔から
認められているためであろう。」などという
トイレ掃除を持ち上げたいが為にテキトー極まりない
事を書いてしまう不誠実さも、腹が立つ(禅に顕著だが、
作務は人の精神が云々なんて安い動機では行わない。
「綺麗にする為に行うのではなく、毎日するから
綺麗なのだ」と云った禅僧がいたが、これは「掃除道」
とやらからは真反対のベクトルであろう)。

繰り返し云うが、「掃除をする事」は悪い事ではない。
自分が率先してやる事で気づきも生まれるだろうし、
感動もあるだろう。

だがしかし。

それは「現代の企業経営でも、整理・整頓・清潔・清掃・作法・
躾の6つの「S」が基本とされている。」なんて云う
「躾けられた奴隷の処世」では決してない。
それを分からない愚か者が、こうした「掃除道」なんて
ものに引っかかるのだろうが、それは「考える事の放棄」で
しかない、という事は認識しておくべきであろう。



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