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2017年03月19日01:21

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部落解放

部落問題については、結構前から興味があって、ちょくちょくリサーチしているんだが、最近、『漂白の社会』という若き社会学者の開沼博という人が執筆した本を読んで、いろいろと考えさせられることがあった。
この本は、いわゆる周縁社会を社会学のフィールドワークとして調査分析しているんだけど、現代の周縁社会というのは、例えば以下のもの。
・シェアハウス経営者
・ホームレスギャル
・闇バカラなどの違法ギャンブル開帳者
・未成年性風俗スカウトマン
・脱法ドラッグ常用者
・右翼くずれ
・左翼くずれ
等々。
もちろん、こういう連中の裏にはヤクザがいたりする場合もあるのだが、その特徴は、彼らが「○○である」という定義ができない、したがって、周縁社会の人間ということがわかりづらいということ。
一昔前は、周縁社会というば、例えば「あの人はヤクザだ」「ヤミ金業者だ」「売春婦だ」などと、一般社会と明確に区別できる存在であったのだが、クリーンにしてゴミは一切ないように思わせる街づくりや、暴力団排除条例などによるヤクザ者の締め出しなどによって、周縁社会が地下化し見えづらくなったという。

で、その話と被差別部落の話には連動がなさそうなんだが、被差別部落の問題についても徹底的なクリーン化によって、本来は被差別部落として存在していたものが徹底的に隠蔽されているという意味で、周縁社会の不可視化といえるのではないかと思う。
私自身、東京の人間であるので、部落問題についてそれほど意識したことはないが、西日本では、部落問題というのは今でも厳然と存在していて、今でこそ幾分マシになったが、つい最近までの部落差別というのは、結構エグかったと聞いている。
近年、全国水平社などによる部落解放活動は、同和政策を生み出し、被差別部落認定地域(いわゆる同和地区)についての巨額の資金投資で、インフラ整備は進み、大きな幹線道路や、バラック街を潰して公営住宅(公共の低家賃住宅)などを整備することによって、一見して被差別部落ということがわかりにくくなった。
関西地方では、今でも、小中学生を対象とした同和教育が行われているようだが、それも形骸化し、被差別部落出身の子供自身、自分が被差別部落出身だという意識も実感としてわかない、という。
被差別部落出身の子でさえ実感がわかないのだから、その他の子はもっと実感がわかずに、したがって部落差別を受けずに成長するため、被差別部落出身者が、部落問題というのを一切考えたことがない、という人が大多数であるという。
差別がなくなった、という意味では、水平社をはじめとする部落解放同盟の目的は達したのかもしれない。
それ自体は、とても良いことなのだろう。

しかしながら、僕は常々違和感を感じてならないのである。
僕自身がとりわけ被差別部落出身ではないので、差別迫害を受けてきた人々の気持ちはシンクロできないし、それがどれだけ辛いものなのかもわからない。
中学の社会科で、少しだけ部落問題に習った記憶もあるが、ただ、そういう人たちに対する差別はいけませんよ。。と言われてもピンとこない。
僕は、2ちゃんねるのアホどものようにやたら差別感情ばかりあおって「エタ、氏ね」などと書き込みするような奴らは、人間のクズだと思うけど、どっかの左翼運動家のように「部落差別はよくない!今すぐ部落の解放をせよ!」とのたまわって、同和政策と称して税金泥棒する根性も反吐がでる。
では僕が持っている感覚とはなにか。
そもそも、味噌も糞も金持ちも、全てをまっ平らにしてコンクリートで埋め尽くしてしまうような状況に、とても不自然さを感じる。
人間とは多様な存在であって、生まれた場所や容姿や知能などの属性という変えようのない人生を背負わされて生きている。
そういうのを一旦全部解体して、コンクリートで塗り固め、均衡化してしまおうとする現代社会の不自然さがたまらなく嫌になる。
例えば、生まれ持って貧困や悪を背負わされた者を均衡化の中で、隠蔽してしまうと、冒頭であげたような実態のない周縁社会へと潜伏していくだけであり、その周縁社会の存在と一般社会の区別もないままの社会が確立していくことに人々の精神が健全でいれれるのか甚だ疑問なのである。

僕たちは、義務教育で、江戸時代は士農工商エタヒニンという差別社会だったと教えられてきた。明治の近代化とともに、四民平等となり、差別のない素晴らしい社会が幕開けたのだと。
しかしながら、江戸時代の身分制度というのは、2つの優れた点があったことも、学校を出てからしった。
1つには、その身分の中での自治が認められており、例えば武士が町人の寄合に対して束縛するようなことが一切なかった、ということ。
2つには、身分を明確化することで、自分の立場に対する不満を緩和していたということ。例えば貧困をしいられた農民は、身分を高く設定することで、金持ちで私腹を肥やす商人に対する嫉妬心を抑制する等。
前近代の時代に260年も続く天下泰平の世の中を築けたのは、そのことも大きな理由ではないかと思う。
さて、ではその中のエタヒニンの存在とは。
とにかく人間の外みたいな欧米における奴隷のような存在のように思っていたが、全然違う。
エタとは、代表的なのが芸能者である。江戸時代にあまた存在した芸能者。歌舞伎役者であったり旅芸人であったり遊女であったり、もまた、ひどい差別を受けていたというより、むしろ人々を楽しませ喜ばせる存在であったのだろう。ただ、生産活動をしない故に、4つの身分の外に出されていたというだけの話である。
ヒニンとは、その多くは罪人あるいは罪人の末裔なんだが、牛馬や人の死体の処理に従事する人たちが代表的。日本の仏教思想では、死に触れることはケガレを意味するため、誰もやりたがらない。その処理を罪人などにやらせていたそうだ。
近年でも、被差別部落には食肉産業が多いのはそのためである。
もちろん、想像を絶するような差別を受けている人々もいたのだろうけど、そこまでひどい世の中には到底思えない。
そして、エタヒニンは、集落を作り共同生活を営み(当時の集落は、職能集団で形成されるのが基本である)、それが近代以降に「被差別部落」と呼ばれるようになる。
被差別部落というのは、つまるところ、ケガレを扱う集団であったわけで、日本人の仏教思想的なケガレの回避からの差別という意味合いが強いんだが、
ではいったい、そのケガレのある仕事をする人たちがいなくなったら、誰がその仕事を請け負うのだろうか。
といった時に、「日本の仏教思想は差別的だから撤廃!」として、皆さんで牛馬を裁きましょう、とかやるのも、ナンセンスな話である。
被差別部落が被差別部落として存続すれば、ケガレを扱う連中という差別意識も当然入ってくるが、かといって彼らがいなければ社会は成り立たない、という感情もでてくるはずである。
差別感情を持ちつつも共存していく社会、というのが僕個人としては一番しっくり来るのである。

最後に僕の被差別部落の記憶。
もう30年以上昔の話だが、僕は小学生の時、どことはいわないが関東のある町に住んでいたのだが、その隣町に今考えれば、被差別部落だったんじゃないかというエリアがあった、
というのは、そのエリアはここかしこに流れるドブ川に寄り添うように、バラック小屋に毛の生えたような住宅が並んでいて、ウチの近所の人たちは誰となく、「あそこにはいかないほうがいい」という噂がたっていたから。
しかしその町には駄菓子屋兼ゲームセンターの店があり、僕は親にナイショでその店にゲームをしに入り浸っていた。
そこで、1コ上の奴と仲良くなったのだが、彼の家は、その被差別部落と思わしきエリアにあったのだった。一度遊びに行ったのだが、外見に反して家の中はさほど汚くはなく、そいつの母親にプリンだかをご馳走になった。
その後、そいつと近所で偶然会い、今度はウチに遊びに誘った。
何故かそいつと2人で人生ゲームをやったんだが、そいつは何故か人生ゲームの金(おもちゃの金だよ!)を盗んで帰りやがった。彼が盗み癖があることは知っていた。しかし、人生ゲームの金盗んで行くとは・・とちょっとおかしくなってしまった。
彼とはその後、一度町でバッタリあってちょっと立ち話して、それっきりになってしまったが、僕にとっては楽しかった少年時代の思い出の1つとして、彼と遊んだことを鮮明に覚えているのである。
あそこが被差別部落だったのかどうか、今となっては調べる気もないのだが、少なくとも近所の人の噂を信じれば、被差別部落と同等の扱いの町であった。
そして、彼に盗み癖があったように、そういった悪事を働く人間を生み出す土壌もあったのだと思う。
それでも、彼や、遊びに行った彼の家の者に、そんな悪い印象はなく、僕としてはいわば「異界の者とコンタクトした」くらいの人生経験だと思っている。
決してコンクリートで埋め尽くした町では、経験できない豊な経験だと思う。

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