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2017年03月13日20:58

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仙台旅行記2017・午後の部

午後は街歩きとなり、北仙台駅をスタート。三角屋根のJRの駅舎は1929年(昭和4年)の開業当初からのもので、近年に改修されてきれいになったそうです。
駅前すぐのクリーニング店横に小さな横丁がありますが、これは「仙台浅草」です。かつては陸前原ノ町駅方面に向かう市電と西古川方面に向かう軽便鉄道の仙台鉄道の始発駅としても賑わったそうで、仙台浅草は仙台鉄道の駅前だったそうですが、ともに廃止となりました。仙台鉄道はそのまま西古川方面に北上していて、今も残っていれば人口減少社会にありながら現在も人口増加している数少ない地域である富谷市や大和町への足となっただけに、勿体無かった気もします。
その後は、仙台駅前から延びる奥州街道の歩道橋を渡り、上杉山中学校横の道を通り、四ツ谷用水の支流の北九番丁堀の梅田川への合流地点を見ました。歩いてきた道は北九番丁堀の暗渠です。梅田川は街中にしては珍しく護岸がコンクリで固められていない小さな川ですが、残念ながら水質はお世辞にもきれいとは言えないものでした。
また、ちょうど合流地点で細い道が中学校沿いの道と合流します。この細道は地図で見るとすぐ行き止まりになっているのですが、仙台鉄道の廃線跡だそうです。
次いで、仙山線の高架をくぐり、上杉から台原に入りましたが、高架橋に「台ノ原街道架道橋」と書いてあり、住宅街の中の細道だけど「街道」と名の付く道であることが分かりました。
その先で住宅街の中にある谷底のような道を通りましたが、やはり川の跡とのことでした。
川はその先で開渠になっていて水もきちんと流れていましたが、地図を見ると100m弱でメガドンキホーテ仙台台原店裏で終わって再び暗渠になっているようです。

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次いで、すり鉢地形の斜面を上がる途中にある白水稲荷神社に立ち寄りましたが、ここで猫を発見。もっと撮れることを期待していましたが、今回の散策では最初で最後の猫写真となってしまいました。
その後は白水稲荷から再び坂を下りて、先程の一時的に開渠になった川と同じ川跡と思われる道を歩きましたが、途中に階段があるのを見ると水が流れていた頃は滝になっていたのかもと想像できる面白い道でした。
川跡の道を抜けるとバス通りに出て、指原莉乃(中略)の東北労災病院前を通過して、コープ台原店前に到着。コープの敷地も含めたこの一帯は、幕末に藩の射撃場となり、その後は陸軍の射撃場となって、戦後は警察学校として使われていたそうです。
その後は、宮城障害者職業能力開発校の横に入ると、アパートの前から始まるドブ板の暗渠がありました。旧射撃場付近を頂上とする分水嶺となっていて、ここから別の川が始まるとのことです。
この川は少し先で水は流れていないながらも開渠になり、しばらく住宅街の中を流れてから、再びドブ板で覆われた暗渠になって坂を下っていましたが、ここで一旦お別れ。
その後は住宅街を抜けて瞑想の松に向かいますが、途中に人が2人やっとすれ違えるくらいの幅の細長い空き地がありました。
古い地図によるとこれは仙台鉄道の廃線跡だそうですが、デパートの屋上のミニ列車くらいしか走れない幅しかなく、言われなければ気付きませんね。
かつての仙台鉄道は軽便鉄道でしたが、もちろんそんなに小さな列車が走っていた訳ではなく、廃線跡は大部分が宅地化されて現在に至るそうで、何らかの事情でここだけこうやって残ったと思われます。

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そして、東北医科薬科大学敷地内にある瞑想の松に到着。周囲よりも小高い丘の頂上にあり、「まんが日本昔ばなし」に出てくるもっこりした山の形をした太白山、雪化粧した泉ヶ岳がよく見えます。明治時代の文学者の高山樗牛が学生時代に叶わぬ恋を嘆いてここで瞑想をしたとのことですが、だったら私も仙台に足繁く通うきかっけを作った杏or芳根京子(以下略)。
ここで東日本大震災の地震発生時刻14:46を迎え、市街地の方角を向いて一同で黙祷。今回の散歩の日程がこの日に設定されたのも、こういう事情と目的があるためです。各地の神社・仏閣・教会なども追悼行事を行なっていましたが、近くのお寺からも同時に鐘の音が聞こえてきました。
黙祷終了後は丘を下り、防空壕ではないかと思われる穴のある斜面を見ながら、野球やスケートなどで有名な東北高校の横を通って、小松島公園に到着して休憩。
小松島公園の池は灌漑用に作られたものだそうで、ここからも川が流れています。また、名称は分かりませんが、鷺のような黒い鳥がいました。
休憩中に、公園横のみやこがね本舗という和菓子店に寄って、うぐいす餅と伊達な栗福を食べました。当初は苺大福を食べたかったのですが、並んでいた数人前で完売。数席だけですが食べられる席もあり、篠田麻里子とMay J.を合わせたみたいな人がいただけに苺大福を食べたかったので残念です(もちろんそんな感じの人の全てが苺嫌いという訳ではありませんが)。
休憩後は再び坂を上がり、市内や海が一望できる高松の丘に向かいました。丘の上には松の木と名称等不明ながらもきれいに整備された小さな稲荷神社がありましたが、かつてはこの松の木にツリーハウスが設置されていたそうです。主催者の説明によると伊坂幸太郎の小説の世界のようなツリーハウスだったとのことで、一度見てみたかっただけに現存しないのは残念です。
その後は再び坂を下り、第4代仙台藩主伊達綱村の正室・万寿寺殿の菩提寺である開元山万寿寺に行きました。ここには干ばつでも枯渇したことのない野田の清水と呼ばれる湧水と、さざれ石があります。
万寿寺を出ると、瞑想の松に向かう途中に通った小川を再び渡りました。ところどころ暗渠化されていますが、上流にはなかった水がここまで来るとそこそこ流れています。
小松島小学校裏のこの川が暗渠化された歩道を通り、再び開渠になる場所で交差する道は仙台鉄道跡とのことです。
この先はしばらく仙台鉄道跡を進み、一見するとただの道路で言われなければ廃線跡と分からない道ですが、五差路に面した小松島小学校正門付近で道路に埋もれた境界杭を発見。頭だけしか出ていないので仙台鉄道のものかは分かりませんが、普通はもっと端にあるはずの境界杭が何故こんなところにと思ってしまいます。掘り返したら横に仙台鉄道と書いてあったら、とんでもないお宝になること間違いないでしょう。
その後は仙山線の東照宮駅の下を通りましたが、橋脚になんと「仙山線東照宮・北仙台間 仙台鉄道横断架道橋 3k151m」と書かれていました。東照宮駅が開業したのはJR化後なので、この駅が1960年(昭和35年)廃止の仙台鉄道と共存していた時代はないのですが、架道橋の名称は今でもこうして生きているようです。
なお、仙台鉄道にも「東照宮前駅」がありましたが、この場所から見て東照宮正面の大通りよりも反対側にあったそうです。
次いで、梅田川の宝蔵院橋手前で曲がり、川沿いの延壽院を見ました。小さな寺ですが、疣神尊、延命地蔵堂があり、庭には福寿草も咲いていました。
そして、仙山線の踏切を渡って午後の街歩き最後のスポットである東照宮に行きました。
東照宮は元々は天神社だったそうですが、2代目仙台藩主の伊達忠宗が東照宮を建造するにあたって、徳川家康が訪れた場所ということでここを選び、旧天神社は移転して現在は「榴岡天満宮」となっています。
また、現在は途中に仙台駅ができたことで分断されてしまいましたが、かつては仙台総鎮守の愛宕神社と一本道で一直線に結ばれていたそうです。

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今回の参加者でラジオパーソナリティーの遠藤瑞知氏が、天神社がここにあって愛宕神社と一直線に結ばれていた頃の地図を持ってきてその場で販売していましたが、値段的に迷ったので買うのを諦めてしまいました。ただ、帰ってから色々と復習していると、買っておいたほうがよかったかもと思っています。
今回の午後の街歩きはここで終了となりましたが、飲み会会場までの移動の間にラジオパーソナリティーの遠藤氏のガイドによるオプショナルツアーという形で、宮町・小田原界隈の簡単な街歩きをしながら飲み会の会場に向かいました。
このまま東照宮の正面の道を南下しながら、5月に行われる「仙台・青葉まつり」と、その前身で江戸時代から昭和40年代頃まで続いた仙台藩最大の祭りの仙台祭(東照宮の祭り)と、それを引き継いで伊達政宗の命日に行われるようになった「青葉祭り」についての解説を聞きました。
かつては、高さ12mの山車が街を練り歩くという盛大な祭りだったそうですが、電気が普及し始めたことにより山車の通行ができなくなったり、交通渋滞を招くなどの理由から廃れてしまい、一時期なくなっていましたが、伊達政宗没後350年の昭和60年(1985年)に今の形になって復活したそうです。今年は5月20〜21日に「藩祖伊達政宗公誕生450年祭」ということで、盛大に行われるそうです。
この界隈は、道路に面した部分の幅で税金が決まるシステムだった頃の名残で細長い土地が多く、古い建物は細長いものが多いです。
その後は、小田原遊郭のあった界隈を歩きました。メインストリートから外れた場所ながら商店街になっていたり西友があったりするのが名残なのかもしれませんが、今回歩いた場所にそれらしい建物が残っていたりはしなかったので、いまいち面影は感じることはできませんでした。
あと、これが遊郭だった時代の名残なのかは分かりませんが、ラーメン店と韓国料理店が多数あり、「結麺会」というのぼりが立った店もあったので、夜の飲食は今も盛り上がっていそうな雰囲気でした。
その後は再び宮町のメインストリートに戻り、味噌と醤油の鈴憲という店の前で止まりました。メインストリート沿いの家は、東照宮をお参りする殿様を上から見下ろすなんてけしからんという理由から、かつては平屋ばかりだったそうですが、ここは隠し部屋というか今でいうロフトのような形で看板の後ろに2階部屋があるという家だったそうです。
次いで、古くからの屋敷門が残る住宅を見たところでオプショナルツアーは終了し、飲み会会場に向かいましたが、途中で変な信号機を発見。歩行者用も自動車用も全方向のものが一体になっていて、歩行者用は慣れないと非常に見づらいです。聞いた話だと仙台にしかないとのことで、うそだろうと思いつつ検索してみましたが、確かに仙台以外での目撃例がありません。正式には「懸垂歩車一体型信号機」というそうですが、見た目からして古そうなので老朽化で交換されたら消滅でしょうね。
また、飲み会会場の前の道は空堀丁通りと言いますが、寛文年間(1661〜73)に掘られて中身侍の住んでいた屋敷丁だったそうです。
仙台に来るたびに泊まる楽天トラベルで一番安いホテルがこのすぐそばにあるのですが、ここを歩くのは初めてで、思いもかけない色々な発見がありました。
そして、17時より旨飯こうじという店にて飲み会開始。ここのメンバーの会社社長が大量の地酒を持ち込むなど飲み放題でしたが、あまり強くないので少ししか酒は飲まずあとはソフトドリンクでしたが、色々お話を聞いたり、立体地図を見せてもらったりと楽しませていただきました。
日本酒を大量に持ってきた社長は、私の本名と同じ苗字なのですが、あれだけの大物だけに多分近縁の人ではないでしょうね。ちなみに、私の家は山形県に本家があるらしいのでルーツは東北地方なので、同じ苗字はこちら方面には確かに多いです。店内に貼られたポスターでも同じ苗字のピアニストを見ましたが、西野カナ×新垣結衣系な人だったので間違いなく近縁ではないでしょう。イモトアヤコレベルだったら、そういう人が近縁にいてもおかしくないかもしれませんが。まさか、あの社長の娘かと思いましたが聞けませんでした。
飲み会は20時半でお開きになり、その後も2次会をやるとのことでしたが、帰りのバスまで時間があるとはいえ、翌朝からの仕事のことなどを考慮して離脱。
離脱後は、三越の裏にある怖いお姉さんとの思い出の店に行こうとも思ったのですがまっすぐ仙台駅に向かい、お土産店に寄りました。戸田恵梨香似の店員がいる店で牛タンカレーせんべいというものを買い、その後は朝に寄ったネットカフェで充電やシャワーを兼ねて休憩。
出発30分前くらいに店を出て23:20発のバスの乗り場を探しましたが、ヨドバシカメラ前と書いてあるのに駅から見て正面に乗り場がなく焦りました。裏に回ったところ乗り場があり、街灯などがなく真っ暗闇でしたが、確かにバス停もあったし何人も並んで待っていたので安心。
バスは定刻通りに仙台駅を出発。再び最前列でしたが、行きのように入って真ん中の座席ではなかったし、疲れていたこともあってぐっすり寝てしまいました。3回のトイレ休憩を挟んで5時半に定刻通りにバスタ新宿に到着し、一旦帰宅して一休み後にすぐ出勤しました。

今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
午前の部
(1)http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40459417.html
(2)http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40459438.html
午後の部
(3)http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40459490.html
(4)http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40459504.html
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