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2017年03月04日14:00

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◇ 通観が 示すもの− リアルな感性の 底流とその意識 ?

The Tree of Zen と、その仲間たち
山崎 順子さんの、 憲法 作ろうさんへの、本日の コメント から
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2011年の、東日本大震災の、刻々迫る日のことです。
当時は4万倍のベンゼンも検出されていました。
石原慎太郎氏の会見中、分からない、知らない部分も多いなか、明確なエピソード記憶が語られていました。
この部分が鮮明であるのはなぜだろうかと、ふと思ったのです。
当時の記録を紹介しながら、よりリアルな感性が必要な、こうした場面を通観してみることにします。
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なお、全体の大まかな推移は、次のとおりです。
(下記図解から分かるように)、鈴木俊一再整備着工をしていたものを、青島幸夫知事は中止し、石原知事が再開して、東京ガスと本格的に交渉を開始してきた、東京都の代表責任当事者であったことは否定できません。.
会見で、司会の方も触れられていたように、では都知事は何のためにあるのかという問題です。
最終裁決をしないこともできる地位にはあったわけです。
http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_gyosei-toyosumarket-keii
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* 正確な前提として、石原元知事は、次の13年半、知事職を務められています。
1999年4月(東京都知事選挙・圧勝就任)−2012年10月(4期目・任期途中で辞職)−(政権与党の民主党の混乱、次の首相候補として取りざたされた時期)国政へ復帰。
また、私の主観をまじえ、少し言わせてもらいますと、都知事時代は、排ガス規制や都財政の黒字化、銀行税、災害対応の迅速性、公会計制度など、数多い業績もあるなか、出資1千億円(債務超過で400億円の追加出資)、新銀行東京のワンマン振り、外交・防衛の権限・能力のない都が、尖閣諸島を買い取ろうとし現今の安心・安全状況を変化させたという想いや、憲法改正のタカ派的発信源だったという印象もまた強いものでした。
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また、活用のお上手な感性の才人で時を見るに機敏な方ですが、「侍」と言われても、国の文化と天皇制に仕える「侍」として、市ヶ谷で決起した、三島由起夫氏のような感慨は決して浮かんでくることのない内容でした。
石原氏と同じ84歳へと向かわれる天皇陛下は、権力なき孤独で、顧みれば戦中も、戦国時代も今の日本においても、権力者という国策に、利用される存在であることを、いま改めて感じるものです。
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その石原元都知事のエピソード記憶の芯は、リアルに次の記録からも再現することができるように思います。
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都議会の決議が、いかに可否同数と拮抗しており、自民会派(賛成)に寝返った委員長票で、かろうじて、決行に決まった、決して規定の当然の流れでない、むしろ、激しい攻防の渦中だったわけです。
また、石原氏の動向と、決してその後のH氏は無縁でなかったことも側聞しています。
おおぜいの当時の呟きですから、中立、公正な読解力を要する反面、
リアルに信憑性も伝わるのではないでしようか。
以下は、奇しくも東日本大震災の「前日」と、一週間ほど間を置く「後日」(まとめ2)となっています。
https://togetter.com/li/110087
https://togetter.com/li/113544
(東京都議会 築地移転問題 来年度移転予算案関連まとめ)
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行政の長(当時)の不作為責任とは何か、またその作為責任とは? も、クールに考察する必要があるように思います。
行政のトップの裁可権の行使の最終責任者は、やはり石原元知事と思います。78億円(東京ガス)対 860億円(東京都)という(瑕疵の如実に示す)負担結果についても、文書偽造でない限りは、懈怠も含めて、石原氏自身の責任が生じていることから事実認識は始まるべきではないでしょうか。他者は、他者責任の問題として…。
この点の意識は、舛添前知事とも似ていると思います。
共に「都民」の視点は、不在のように思うのです。
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一方、浜渦元副知事の交渉過程では「2011年2月18日、東ガスから72億円に下げる要求を受けた際、都は『知事に説明した80億に達していない』と回答。同年3月7日の協議で、都は『79億円でお願いしたい』と懇願。『Gへの説明(80)や、都提示額(86)と東ガス提示額(72)等を考慮した額である』と主張」していることを内容とした、開示文書があるようです( http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-12-03/2016120315_01_1.html ( 「G 」 = ガバナー= 「知事」 )
したがい、この推移からも、明らかに記憶の有無とは無関係に、「報告」を受けて拒否する理由も出てこないように(その上限額は当時知悉していたと)思います。
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石原氏のおっしゃる最高権威のことばからは、豊洲へ移りさえすれば、すべての(ご自分の)憂いは消えるのでしょう。
それはその通りと思います。と同時に、それは「侍」の大義とは、段差があるのではないでしょうか。
微細の生活と健康の不安は、人が生きていくうえで、「権威」神話とは異なり、日々の実感と地道な積み重ねのうえで生まれるものであり、サトル部に穴が避けられぬ抽象的な理論と差違があるものです。
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拙速の懸念と照合するために、いまストップをかけているように感じています。手続的正義は、生命や自然の緻密さに近づくために不可欠のものです。独裁者と一緒に、大衆は劇的死をを選ぼうとは思っていません。
偉い人のご都合主義は、平然と人を騙すことを、いま私たちは実践で学ぼうとしています。新たに必要な意識と思うのです。
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奇しくも、石原元都知事の仕事内容と比肩されていた舛添前知事の、起訴・不起訴の決定が、同日にありました。
http://www.asahi.com/articles/ASK335JXFK33UTIL03V.html
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まだ痛みのある真の感銘と勇気を、与えて下さる機会の残されていることを、信じています。
失礼の段は、お許しください。
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全貌
http://www.asahi.com/special/timeline/tsukiji-to-toyosu/
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写真:By " 上記 「朝日新聞社」さん ".
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