仏教 トピックのテーマ「言葉と世界像と覚り」についてのコメントをメモ(記録)と致します。
柱書:
2012年11月17日 13:06
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78910 様の記述内容
僕たち人間はこの世界で暮らし、この世界に向き合う時、自分が関心を向ける諸々の対象を言葉によって他と区分してとらえ、自分の外部や内部をそうやって言葉で区分されたいくつものものから構成されていると考える。それが僕たちの世界像になる。
原始社会においては言葉による区分の仕方は今と違っており、それによって今とは違う世界像を彼ら彼女らは持っていた。
また、地球上が情報のグローバル化がなされていなかったそれぞれの時代には、それぞれの言語圏、それぞれの文化圏で異なる世界像が持たれていた。
また、魚や獣や昆虫や微生物などの仏教で言うところの畜生たちは人間のような言葉以前の対象のとらえ方によって、彼らなりの対象区分でそれぞれ独自の世界像を構成している。
さらに、仏教という一つの世界を見ても、初期経典がお釈迦さまの遺した言葉だとして描く世界と教団分裂後のそれぞれの部派が精緻化したアビダルマに描き出された世界像は微妙に異なるし、たくさんの大乗経典が生まれて来るとそれぞれの経典がつかみ出した世界像は大きく異なっていたりする。
こういう人間の言葉による諸々のものの区分の仕方に依存して出来上がっている世界像に人間が自ら寄りかかり、縛られ、苦しみを脱しきれずにいるさまを明らかに見て、
言葉によって区分される以前の絶対無区分の境地にまずは立とうとすることは、実は釈尊以来、仏教がずっと指し示して来た真如を知るための不可欠の前段だと思います。
(皆さんと共に学ぶために、あえて未熟な自分が叩き台として書かせていただきました。)
[104]
2017年02月20日 15:08
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78910 様のコメント
ブッダが遺された言葉を編集した原始仏典に基づいて、正確に論理を駆使してそれらの言葉を分析していったら、どんなことが明らかになるかといった仕事がまさに部派仏教時代のアビダルマだとしたら、
そういういかにも論理的に精緻な、寄せ木細工のような構築物は論理みずからのせいで簡単に壊すこともできるんだよということを龍樹の『中論』は示して見せたとも言えますね。
1人がイイネ!
ひら
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[105]
2017年02月27日 11:43
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モリオバッハ
>>[104] 78910さん
おはようございます。
仏教をはじめ世界中の種々の宗教を信じている人はそれはそれで否定しませんが、他の宗教や宗派を否定したがります。
私の俺の信じている宗教や宗派が一番いいのであると。
聖職者のプロ達をはじめ信者達は自分自身が信仰している宗教や宗派が一番いいと思っているので、その概念から脱出出来ず、固定観念で縛られているのです。
その人達に何を言っても聴いてくれません。
反対な事を言えば、気持ちを害することは明白で、反論の繰り返しで、誹謗中傷合戦で埒があきませんよね。
俺たちの宗教が一番いいと自分自身で検証した発言やコメントを聴いたことがありません。
理系人の思考法としては、比較表を作成し、夫々の特性要をマトリック図に表し、数値付けをして、点数の一番得られたものが一番いいと判断します。
また、コストパーフォマンス(性能対価格)のような思考法で、費用対効果を算出し、これが一番経済的に有利であり、一番いいと判定するわけです。
日蓮宗のように「法華経」が一番いいとか、〇〇宗の「〇〇経」が一番いいと、理系人の思考法でジャッジされた意見・見解は見たことがありませんよね。
私が半世紀余り、理系人としての思考法で、現場観察・現場検証し、分析・解析・精査して得た結果は、「〇〇経」が一番いいとジャッジできませんでしたね。
判定基準はないからです。
仏教の経典、仏陀の言葉、それらを寄せ集めたスッタニパータ、法華経をはじめ様々な経典は、優劣なく、軽重なく、同じですよ。
どの経典を診ても、どこのセクションを診ても、「金太郎飴」構造・構成になっていますね。
即ち、どこをカットしても、「慈悲」が表現されているのですよ。
「真理は同一である」と聖者達は言いておりますので、仏教をはじめ世界中の様々な宗教の真理は同一であることに気づくことが重要なのです。
第36項目に記述されたアローカ様の「気づき」ですよ。
気づき、発見、悟り、みな同じような意味合いの同義語表現ですよ。
俺の宗教が一番いいのだ!!と言っている叫んでいる間は、世界の平安・平和は達成できないことp明確ですね。
自然界の生物・動物は、人間が創作した宗教の聖典・経典での思考法は持ち合わせていません。
聖典・経典はどれも創作物としての最高峰ですよ。
著作権法第1条の柱書の後半に「文化の発展に寄与すること」が目的と掲載されています。
産業財産権での特許法第1条の柱書の後半に「産業の発達に寄与する」ことが目的と記述されておりますよ。
宗教での聖典・経典が、今までに「文化の発展に寄与した」でしょうかね。
宗教戦争をはじめ、宗教者達の激論・暴言で、世界中の悲劇・不幸が繰り返されていますよね。
なぜ、悲劇・不幸が止まないのか、考察されたことがあるでしょうか。
ここに原点・源泉があるのですよ。
世界は色々な人種がいて、色々な考え方がありますが、「真理は同一である」ことに気づかれた人が何人いるのでしょうかね。
色々な世界観はありますが、「真理は同一である」ことの世界観が、人類一人ひとりに宿されるならば、世界の平安・平和は達成できるのですよ。
世界中の様々な宗教や宗派の特性要因で、共通点・共通項を探し出せば、自ずから、「真理は同一である」ことを見い出せるのですよ。
毎日毎日が新しい発見(気づき)であり、発見出来たことへの喜びと感謝の日々であり、これこそ歓喜に満ちた人生となっているのですよ。
「歓喜の人生」、共に謳歌していきたいものですね!!
感謝
本件テーマ:
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