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2017年02月24日20:27

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続・これからのこと

前回の日記のその後の報告です。

年末から、義父の様子はさらにひどくなり、義母を怒鳴って、叩いたので、私は必至で止めて、義母を3階にある自宅にお昼を作るよう逃がしました。
さすがの義父も私には手をあげることなく、落ち着かせて、私が銀行当座の残金と先付小切手の合計金額、当座の出納帳を書いて、主人にチェックしてもらいました。

大晦日の朝、主人はやっと休みになったので、その日は主人に店を任せ、私は寝込んでしまいました。
夕方やっと起きれるようになったので、義両親と我が家年越しそばを作り、また寝込んでしまいました。

元旦、やっとの思いでほとんど作ってあったお節を詰めて、お雑煮つくり、新しい年を迎えました。

そして実家へ2日の朝に行き、4日に帰ってきました。
5日に急いで義父と義母の病状を心療内科に伝え、予約を取りました。
義妹は、区の介護施設課を通して、介護保険の申請をするように手配してくれました。

介護保険申請に従い、サポートがケアマネージャー決まるまで付くことになり、いろいろと相談に乗ってくれることになり、家庭調査も入りました。

病院は血液検査とMRIのために手配され、結果を聞くことになり、それは私も立ち会いました。
義母は脳梗塞の後と多少の年相応の脳萎縮、痴呆症気味と診断が下りましたが、、、
義父はかなりの脳萎縮、そしてなんといっても、一つしかない腎臓がかなり悪くなっていました。

とりあえず2週間ほど痴呆の薬と血圧の薬は少し効いてきて、義父も義母も落ち着いてきました。


義父は大きな病院の腎臓代謝科を紹介され、CTと詳細な血液検査の結果を見て、92歳という年から積極的に治す治療は諦め、今の状態で長く細く治療を内服薬出直すこととしました。

それは義妹と痴呆でかかるクリニック、サポートの主任介護士さんの意見で決まりました。
私も主人を説得しました。
主人は何としても入院や手術、透析で直したかったようで、かなり強くこだわっていました。

でも、90才を過ぎた自分は健康であると信じてる義父には、それは苦痛の以外何物でもないと思うのです。
人の天命は決まっているのです。

残りの人生を義父には苦しい治療でなく、穏やかな楽しい自分のために使ってほしい。

従って内服薬で、お酒の禁止もなく食制限もありません。
しかしカリウム、ナトリウムの排出薬、血圧薬、慢性腎不全と尿毒症の薬が出ました。

その薬と血液検査の結果表、赤血球の値と血小板の値が示す腎臓の悪さ。


義妹はわかってましたが、私もあとわずかしか義父の天命はないのだと知りました。

主人には悩んだ末に伝えました。
『義父の命は、あと3年持たない、1年持てばよい方だ。』と。

主人には義母や姉妹を支え、店を維持し、義父の役目を補助し、その最後まで支える必要があるのです。

やはり主人もある程度分かってました。

2月、3月に入りまだケアマネージャーが決まりません。
義父は介護のランクも決まりません。

義妹は末息子の高校受験のため、自由が利かない身になったので私が代わって、申請が通るまでの代行をすることにしました。

やはり長男である主人の妻だから、義父と義母の家庭の中にまでは口は出しません。
経営のことも口は出しません。
ただ、精神的に、お店の信用と雑用のため、頑張ることにしました。
本当はドクターストップかかってるけど、仕方ないよね。

心療内科の私の主治医の先生は、「人はしてあげたことは覚えてるけど、してもらったことは忘れてしまう。」
そう言われました。
まして、私の両親ではなく主人の両親だということ。

わかります。
よくわかります。

でも、お義父さんもお義母さんも齢を取り、最後に私たち子どもに教えてくれる人の最後の過ごし方。

あり難いですよね。
親として教えてくれているのです。

そして自分の覚悟を、自分の人生を、親との思い出、すべてを見つめなおす時間が与えられるという幸せ。

気付いたことがあります。
親が最初にプレゼントしてくれたものは、【名前】。
そして最後になるであろうプレゼントは、【人としての生き方】。

これからを、一日一日大事に見つめて過ごそうと思います。
長文をお読み下さってありがとうございます。
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