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2017年02月23日20:29

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生きている人は死んでいて、死んでいる人が生きているような昔

 高校入学の翌日に「映画研究サークル」に入った。

 部長のH先輩は70年代には珍しい邦画ファン。
学校の団体鑑賞で見る映画を「津軽じょんがら節」にした、という兵だ。
そのH先輩の一押しが「けんかえれじい」だった。16mmフィルムを
借りて文化祭で上映したが、客はほとんどいなかった。

 大学に入り漫画研究会に入った。「オタク」という言葉が生まれる以前、
大好きなアニメや漫画を真剣に語る場所がほしかった。
 マイナーなアニメであった「ルパン三世」のファンが集まり、
エピソードを語りつくした。ビデオもない時代、記憶と記録がすべてだった。
あのルパンシリーズのスタイリッシュでクールなセンスが
鈴木清順監督らによるものだとこのとき知った。

 初めてヨコハマ映画祭に参加した。
鶴見の京浜映画は立ち見で身動きできず、二階席からも
人がこぼれ落ちそうだった。
 ベストテン1位は「ツィゴイネルワイゼン」、監督賞はもちろん鈴木清順監督。
授賞式に現れた監督に熱狂的な拍手と歓声がとんだ。
観客の一人から
 「日本映画の今後についてどう思いますか?」
といった質問が出た。
衰退する日本映画界に檄を飛ばしてもらいたいという意味でもあったのだろうか。
 監督は
「そんなもん知ったこっちゃない。日本映画が消えるなら消えるまで」
という旨の答えだったように記憶する。

あれから、36年。
あの日の清順監督と同じ年になった自分がいる。
合掌。
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