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2017年02月18日00:00

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真に醜い差別心の在り処。

なぜ? 米版VOGUE誌で日本人の格好で撮影された写真に批判、モデルが「文化を横取りした」と謝罪へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4437424

ポリコレ棒とやらの乱用の弊害、かね。

全くヘドが出るような醜い話だ。

当然の前提ではあるが、別に日本人「的に」写真を撮るだの
扮装をするだの真似をするだのは絶対に「文化の横取り」などでは
あり得ない。文化と云うものは多分に横断的であり、
影響は常に与え、かつまた受けるものである。

だが、このバカが醜悪な「公正」を振りかざしているのは、
そういう単純な事ではない。

そして、その裏にこそ醜いとしか言い様のない「差別心」が隠されて
(いや、露わになって、かね)いる。

まず、状況を整理する。

「アメリカ人モデルが日本人の格好で撮影した写真が
「文化的横取り」と批判され」た事が問題となる。

その理由付けとしては
「見えない白人の特権で、差別を感じることもなく
ほかの人種になりきって遊ぶ」
「文化の神聖さを消し去り単なるファッションや
アクセサリーにしてしまう」
と云う点が挙げられている。

以降には様々な文化的背景や補足が入るが、概ねこれだけで問題の
本質は理解出来る。

二番目の、「文化の神聖さ」とやらだが、当然「神聖なる文化」は
存在するが、それは「全ての文化が神聖である」と云う事を
意味はしない。ファッションやメイクの領域にも「神聖視し
尊重すべき」モノもそれには含まれる(日本で云えば僧衣や
袈裟とかかな?)。

これは他文化に通暁していないとこの理解は難しい面も
あろうが、信教に関する衣服や装飾であれば、どんな
バカでもある程度の信仰心さえ理解出来ていれば、
十字架で背中を掻いたり、経典でケツを拭いたり、
僧衣で雑巾は作らないであろう。また、この件においては
こんな非常識なレヴェルでの「神聖なる文化」への冒涜行為は
確認されない。

云うまでもないが、「単なるファッションやアクセサリー」なのだ、
モデルが身に纏った物は!

ここで、二番目の論旨が意味を為さない駄言である事は
確認された。

最大の問題である一番目の論旨に立ち戻ろう。

「見えない白人の特権で、差別を感じることもなく
ほかの人種になりきって遊ぶ」

これだ。

この発言が何故醜いかは、文章が読める人間であれば
誰にでも理解出来るであろう。

この言葉は、「見えない白人の特権」を批判する積り
(なのだろうな)で全く露骨にその「特権」の存在を
全肯定してしまっている。

ここではまず、「白人以外の人種」が他文化の装束、アクセサリを
纏う事に対しては「文化の横取り」なる珍妙な批判から除外が
為されている事が分かる。別に日本人がスーツを着ようが、
インド人がドレスを着ようが、アルジェリア人がアスコットタイを
締めようが構わない訳だ。ではそれは何故か?

「見えない白人の特権」をこれらの人種は付与されていないから。

別にここまでは良しとしよう(良かねぇが)。

問題は、このような「見えない白人の特権」を付与された
輩が(誰からか?と聞いたら神から、と答えるんだろうな)、
その特権を見せびらかす事なく、差別をしていないよ、と
白人より劣等である種族に認識させながらでないと
「ほかの人種になりきって遊ぶ」事は罷りならん、と
仰っている極めて明白で醜い差別心であろう。

自分達白人を「特権保持者」であると規定した上で、
その特権を振りかざすとは何事か!と怒ってみせる。

いやはや、その厚顔さ、精神の鈍重さには恐れ入るしかない。

それならば正面切ってジャップだのイエローモンキーだの
チョッパリだの云われた方がまだスッキリする。

こうした差別者が気持ちよく善人気分に浸れる為に
多様性と云う言葉も、概念も存在するのではない。
間違っても自身を高みに置いて理解したと思う
「多様性」は見当違いだし、酷ければ(この事例のように、
ね)差別だ。

ミンストレルショウに対する反省があるのは良い。
故に、シャネルズがアメリカ公演に行って酷い目に
あったりした事も正しい(文化に対する無自覚が
そこにはあったからだ)。だがそれは決して
「文化の横取り」であったから反省があった訳でも、
酷い目にあった訳でもない。

自身を(白人を)神の隣に置いて、そこから下位の
文化を収奪し、使用(「アジア人を使うべき」という
一見平等を担保するかに見えた「施す」感覚の無邪気と
も云える鈍感さよ!)するその傲慢さにあるのだ。

文化は「横取り」出来るような安いものでは決してないし、
絶対的にコード化されてそれに従わない者は排除するような
偏狭なものでもない(無論例外はあるし、それを知るには学習が
必要だし、未知の文化に触れるのであれば「コードの
有無」くらいは確認しておく事は当然の礼儀であろう)。

和服も簪も、外人ねーちゃんがちょっと着ただけで「横取り」
出来るようなもんではないからね。それこそ「横取り」出来る
くらいガシガシ他国の方にも着て欲しいくらいだよ、和装好きとしては。
それを、このような差別でべったり汚れたポリコレ棒で
バカ学校の風紀委員みたいな真似をされるのは、迷惑であり
害悪だ。

この批判の発端はオージーらしいが、流石に文化不毛の
砂漠の外縁に住むような「白人でござい」というプライドしか
持ち得ない田舎者らしい申し様と云えるだろうな。文化などとは
縁なき衆上なのだからいらん口は挟まぬ事さ、と
若干鼻持ちならない悪口でこの批判に対する批判の日記を
閉じる。


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