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2017年02月12日16:13

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家族だってつらいながらも同意見なのに…

ガン家系の我が家、かなり以前から自分の最期はこうありたい、という話を
父から聞いていた。
「チューブにつながれたりして機械に生かされているだけの状態は
もう生きているとはいえない。そういう状態になるのは全く望んでないからね。」
「なにかあったらそのままでいいから、家にいさせて。」
「理想はね、家で、家族に見守られながら、息をひきとりたい。」
まるでドラマのワンシーンを想像してしまいそうだけど、気持ちは充分、理解していた。

が、現実になって初めて、それがいかに難しいことかを思い知らされた。

家にいる時は、父は殆ど動かなかった。
炬燵に入ってて、TVを一日じゅうみているだけ。

息苦しい、体がだるい、といわれればもう仕方ないので、母も文句をいいつつ、
放置していた。
(「動かないと足腰弱っちゃうんだからね!」と、お天気のいい日には
無理やり散歩に行かされていたりもしたが。)

今思えば、父はじっとしていることで、なんとか小康状態を保っていたんだと思う。

今回の入院は、お正月過ぎたあたりから一切食べなくなってしまったことから
始まった。
なにかおかしい、だから一度近所で診てもらおう、で、もしも酸素が
足りてないようなら、酸素ボンベを出してもらって、
うちで看病しようね、ということから、
市内の病院に無理やり連れだしたのである。
まさかその足で遠くに搬送されてしまい、そのまま移動できなくなるとは。

約30年前、父が胃の全摘手術をしてからは、食事をするのに
異常に時間がかかるようになっていた。
固形物を呑み込むとそれが途中でひっかかるらしいので、とにかく待つしかない。
で、延々と時間をかけて食べることができるのは、家だからこそ、だったのである。

今入院しているところでは、朝食の時間には間に合わないが、
昼食&夕食の時間には家族のいずれかが毎回つき添うようになった。
つき添うようになってわかったのだが、本当に何度も担当の人が食器を片づけようと
声をかけてくるわけで、確かにこれでは父は食べられない、と思った。

が、今はもう、父が本当に“食べない”のである。

「間質性肺炎の人はだんだん食べられなくなるんです」と、
今の担当医師にはいわれている。

COPDもあったところに、今回また気胸になっていたことが発覚し、
いつも肺で診てもらっていたところとは違う大学病院に搬送されてしまった父。

積極的治療(つまり手術)は本人も(家族も)望んでいないことは、
これまでお世話になっていた大学病院は既に知っていたわけだし、
少々ボケ始めていることも伝えていたこともあって、今回は受け入れ拒否を
されたんだ、と我が家では考えている。

確かに、何も処置させないことがわかっていたら、貴重な大学病院のベッドを
占有されても困るよね、病院側にすれば。

そういう意味では今の病院には大変申し訳ない、と思っている。
なんとかしてせめて家の近くの病院に移そう、としていたのに、結局、
もう受け入れ先もないし、移動できる状態でもなくなってしまった…。

でも、もしもあの日、かかりつけの大学病院に搬送してもらえていたら、
胸に穴をあけて胸腔の空気を出す処置はしなかっただろう、と私は考えている。
そしたらまた家に帰れた、というか、少し様子をみて、そのまま
帰されたんじゃないだろうか。
というのも、1年位前にその大学病院で検査してもらった時に
「また小さな気胸を起こしてましたが、今はもうふさがってますね。」
といわれた経緯があったからである。

孔をあけたことで、これまで微妙にバランスをとれていた内圧が変わったのではないか。
で、こんなにダダ漏れ状態に陥ったのではないか、と。
いや、実際はわからないね、既に肺はボロボロだったんだろうから。


試しに息をしないで食事をしてみる。
確かに相当つらい。
これでは、食べる行為自体が拷問に近いわ…。


そこで、思いきって手術して気胸をなんとかしよう、という話になった。

が、外科の先生と話をしたところ、手術は片方ずつしかできない、というのだ。
どうせつらい想いをさせるなら、両方同時に“補強”してほしい、と考えていたのに。
そもそも、今回の手術が仮に成功したとしても、またもう片方の肺がいつ気胸を
おこすかもわからないのである。そしたらまた手術???

もう一方は10年前位に別の(その後かかりつけになった)大学病院で手術しており、
その時に「既にぼろぼろなので、次に気胸になったら大変なので、
もう片方の肺を大事にしてくださいね!」といわれていたんだ。
が、今はその片方がもうバルーンだらけ、とのこと。
もろもろリスクはあるし、手術中はそのもう片方の肺だけで呼吸を維持するわけで、
既にボロボロな片肺が持ちこたえられるとは到底思えなかった。

先生たちの腕が信じられないのではなく、父の肺が全く信用ならないのである。

20歳代に結核で1年以上入院したという話も聞いている。
つまり、もともと肺が弱かったようなのだ。
(しかも胃がんの手術を受けるまでは、ずっとへビースモーカーだったしたらーっ(汗)

今回、なによりも参ったのが、もしもその手術が終わった時に自力で
呼吸できなかったら、人工呼吸器をとりつけた状態で手術室からでてくる、
といわれたことだった。

病室に戻ってから息ができなくなったとしても、人工呼吸器はとりつけないでほしい、
ということは、本人の希望もあってお願いできていたんだ。

これはOKらしいのだ。
が、手術の直後はそれができないとのこと。

身内にしてみれば、なんじゃそりゃ、である。
まぁ確かに患者を治療するために頑張るお医者さんたちにしてみれば、
それは「できない」のだろう。

でもね、
家族も本人も希望しているのに…何故???

自分の意思すら伝えられなくなってまで生きていたくない、と強く希望する
患者がいるのに、どうして好きにさせてくれない?

延命措置のためにどんだけ無駄な医療費をかけているのだ、日本。
そもそも年寄りが多すぎて問題になってるのに。

いくつになっても元気で人生をエンジョイしているのなら別にいいのよ。
でもね、本人がもう嫌だとはっきりいっているのに、その選択はできないの?

自力呼吸ができなかったら人工呼吸器をつけられてしまう、という話を聞いてから、
我が家では結論が出ない状況が続き、最終的には、手術自体を断念することにした。

父にもそのことを伝えた。

もしかしたらまたしばらくの間は元気になれる可能性もあったかもしれない。

でも、手術は断念しなくてはならない。

なんじゃそりゃ、である。

でも仕方ないんだな、今の法律では。

人工呼吸器をとりつけられれて、ずっと本人の意思は確認されないまま
眠らされてしまうだなんて、そんなことは我が家、許容できるはずはない。

もちろん生きててほしいんだよ、ほんとはね、少しでも長ーく。

趣味であるゴルフもできなくなり、飛行機には乗るな、といわれ、
仲良くしていた友人たちは既に他界し、世話すべき犬もなくなって、
大好きなお酒も皆と自由に飲めなくなった父にしてみれば、
「もうお願いだから、放っておいてくれ」という気持ちはとてもよくできるのだ。

悲しいけれど。

生きていたらきっとまたいいこと、楽しいこともあるんじゃないかな、とも思うのよ。
でもそれを無理強いする権利はないはず、家族にも。


全然関係ないけど、昔の猫はよかったよね。猫
自分の死期がわかるとふっといなくなっていた。
見苦しくなって、野垂れ死にする姿を飼い主にみせたくなかったのかな。

動物だもの、自分で食べて飲んで排泄できなくなったら本来は終わりなんだとも思う。

もちろん、どんな形でもとにかく生きていてほしい、と願う家族がいてもいいし、
それを否定する気は毛頭ない。

でも我が家は違う。本人の意思を尊重したい。

だから今はとにかく痛い想いをさせないこと、つらくないようにしてくれ、と
それだけを病院にお願いしている。

…でも却ってそれがつらい想いをさせているのかもしれない。
手術して麻酔かけられてそのまま意識がない方がずーーっとラクなのかも。

わからない、いまだに。


病院で行なわれている過剰な延命治療の大半は家族の希望
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=4426358
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