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2016年12月18日14:28

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巻第四公孫丑章句下 第三十三節

                              三十三節
孟子は言う、
「戰に於いて天の時、乃ち時日や干支や方位は、地の利、乃ち山河や城の堀などの要害に及ばない。地の利は、人心が一つになり喜びを共にする人の和に及ばない。三里四方の内城、七里四方の外城というあまり大きくない城なのに、包囲攻撃をしても勝てない時がある。この包囲攻撃をしている者には、天の時を味方につけている者もいるはずだが、それでも勝てないのは、天の時が地の利に及ばないからである。又城壁も高く、堀も深く、武器や甲冑も立派で、食料も十分にある、それなのに城を棄てて逃げ去ることが有る。それは堅固な地の利も、人の和には及ばないからである。それゆえに昔から、民を定着させるのに、国境を固める必要はない。国を守るのに、険阻な山や谷に頼る必要はない。天下を畏怖させるのに、すぐれた兵器や甲冑による武力は必要ない、と言われているのである。正しい道を行う君主には、助けてくれる人も多く、正しい道を失うと、力を貸す人も少なくなる。力を貸す人が極端に少なくなった場合には、最も身近な親戚でさえ離反する。力を貸す人が極度に多くなれば、天下はその君主に従ってくる。そのような天下の人々が付き従ってくる王が、親戚でさえ叛くような者を攻めれば、勝敗は自ずから決まっている。だから正しい道を行っている君子は、戰う必要もないが、已む無く戦うことになったとしても、必ず勝つのである。」

孟子曰、天時不如地利、地利不如人和。三里之城、七里之郭、環而攻之而不勝。夫環而攻之、必有得天時者矣。然而不勝者、是天時不如地利也。城非不高也。池非不深也。兵革非不堅利也。米粟非不多也。委而去之、是地利不如人和也。故曰、域民不以封疆之界。固國不以山谿之險。威天下不以兵革之利。得道者多助、失道者寡助。寡助之至、親戚畔之。多助之至、天下順之。以天下之所順、攻親戚之所畔。故君子有不戰。戰必勝矣。

孟子曰く、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。三里の城、七里の郭、環りて之を攻むれども勝たず。夫れ環りて之を攻むれば、必ず天の時を得る者有らん。然り而して勝たざる者は、是れ天の時、地の利に如かざればなり。城高からざるに非ざるなり。池深からざるに非ざるなり。兵革堅利ならざるに非ざるなり。米粟多からざるに非ざるなり。委して之を去るは、是れ地の利、人の和に如かざればなり。故に曰く、『民を域(かぎる)るに封疆の界を以てせず。國を固むるに山谿の險を以てせず。天下を威すに兵革の利を以てせず。』道を得る者は助け多く、道を失う者は助け寡し。助け寡きの至は、親戚も之に畔く。助け多きの至は、天下も之に順う。天下の順う所を以て、親戚の畔く所を攻む。故に君子は戰わざる有り。戰えば必ず勝つ。」

<語釈>
○「天時」、趙注:時日・干支・五行を謂う。○「地利」、険阻・城池の固きを謂う。○「兵革」、「兵」は武器、「革」は甲冑。○「委」、朱注:「委」は「棄」なり。

<解説>
孟子の王道論の一つであり、その根本は人の和である。政治に於いても戰に於いても人の和が最も大切な事である。日本でもかの名将武田信玄も、人は盾、人は石垣、人は城、と述べている。誰もが知っているこの人の和が、実際には最も困難な事であることは事実である。

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