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2016年12月10日04:45

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プリンスオブウェールズに花束を

レパルスは513名の将兵と共に沈み、それから50分ほどしてプリンス・オブ・ウェールズが沈んだ。しかしプリンス・オブ・ウェールズは沈むまでに辛い損傷を負いながらも耐えてくれたお陰で、多くの将兵が退艦する事が出来たのだ。最終的にプリンスと共に沈んだ将兵は327名であった。

 ここで述べなければならないのは、攻撃を行った日本軍機に関してである。彼らは生存者の救出活動を妨げる事はなかった。それどころか、レパルスとプリンス・オブ・ウェールズ沈没に関する書籍の多くに、日本軍のパイロット達が救出に向かおうとする英国の駆逐艦に仲間を救出セヨとの信号を送りエスコートしたと書かれているのだ。

 これに対して、プリンス・オブ・ウェールズに乗艦し生き残ったビル・ジョーンズに証言を貰う事が出来た。彼は戦後に日本に何度か向かい、そこで当時戦闘に参加していた日本人パイロットと出会ったのだ。そこで聞いた話では、日本軍パイロット達には2隻の主力艦以外の艦艇への攻撃を禁じる命令が下されたとの事だった。

 ここで日本海軍の壱岐中尉の証言も加えなければならないだろう。彼が言うには、レパルスかプリンス・オブ・ウェールズどちらか一隻を撃沈する様にとの命令が下されていたとの事だった。また、戦闘の翌日、12月11日に彼は戦闘海域上空を訪れ、花束を2つ投下したのだった。何故そのような事をしたのか私が尋ねると、1つ目は砲火によって撃墜された鹿屋航空隊の仲間の為だったと聞かされた。この時、私は若干のショックを受けたが、もう1つは勇敢に戦い亡くなった英国将兵へのものだと聞かされた。彼は戦艦を守ろうと戦った英国将兵の勇気を最大限に褒め称え、日本の航空隊の隊員達もまた、敵として戦い散っていった英国将兵を讃えていたと語った。


http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4327553
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