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2016年12月01日00:02

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ベジタリアンが許されるのは豊かな証拠

ベジタリアンというのは要するにぜいたくな暮らしに飽きたわがままな人。

三大欲が満たされるからかわいそうという発想に行く。

三大欲が満たされ、それが行き過ぎると必ずひずみがでる。

衣>見栄を張るために洋服を買い、大量の衣服に追われ気が休まらなくなり

食>肥満と成人病に悩むようになり

住>豪華すぎる家の修繕費と税金に泣くようになる

おまけに性>夫婦で飽きて別の相手を探す

この食のひずみ>食べ過ぎ>肥満をどう解消するかで

それがやせるを通り越して健康に集中し、健康=植物性
これに動物はかわいそう、という殺生忌避の宗教を絡めたものが

ベジタリアンである。

しかし人間哀れなもので、完全に動物を食から断つことはほとんど不可能。

そこでベジタリアンはビーガン、という禅を考え出した。

ベジタリアンからビーガンまで、いくつかの階級が存在し、人はレベルに応じて
その階級を選択できる。

加工はNG、卵はOK、牛乳はOK、あらゆるものは全部だめetc。

こう見るとベジタリアンというのがいかにわがまま勝手な宗教かよくわかる。

私の友人でも、久々に会ったらベジタリアンになっていたやつがいた。

まあ仕方がないからこの坊ちゃんにつきあって、ベジタリアンレストランや
ビーガンレストランを探してやったが、まあレストランで人から金取って
食わせるレベルになっているのはカレー料理だけだった。

インドは宗教上で合致しているようで、いちおうベジタリアンカレーというのがある。

してみるとベジタリアンというのは、禅ではなくヨガの一流れなのだろう。

宗教、ましてヨガとなるとこの勢力は大変だ。
ビートルズもヨガにはまり、中村天風もヨガで救われている。

ヨガというのは一つの奇跡を体現しているし、
インドは必ずしも豊かな国ではない。

豊かな国だからこそ許されるわがまま、ということにいくらでも反論できてしまう。

しかしながら、

目的がおのれのためでなく、おのれの感情の押し付けであり
おのれの感情の押し付けのために周りを振り回す、接触を拒絶する、
社会での孤立を容認する、という一点で

それはヨガでも禅でも宗教でもない。

あえて言えば邪教であろう。

人間の究極を探求するとか、
人間とは何かを探求するとか、
悟りとは何かを探求するとか

そういう話はついぞ聞いたことがない。

典型的な例がベジタリアンなのに肥満な人々だ。

さすがに腹が減るのか肉の代わりに炭水化物をたらふく食べるので
肥満体になる。

ベジタリアン=健康でも、やせることでもない。

目的は世界一自然にやさしい自分の満足だけである。

しかし満たされた世界にはこういうゆがみが必ず発生するので
矯正は無理であろう。

ベジタリアンやビーガンの人をどう腫れ物に触るように隔離していくか
そういう時代になっていく。

これからは分かり合えない世代、民族、所得、宗教、性別、知的水準でみな隔離されるであろう。

分かり合えないものは排除する

トランプの支持がまさにそれにあたる。
欧州でも第三世界でも似たような思想が出て来たら、世界大戦もあり得るかもしれない。

譲り合えない社会が譲り合えない世界に広がるのを感じる。

私も一か月ベジタリアンをダイエットのため試したことがあるが
やせるはやせるが筋肉が落ちるのでリバウンドしやすくなる。
いいところは体臭が消える。

あまり健康的とはいいがたい。


英国の新5ポンド紙幣にベジタリアン反発、動物性脂肪利用で
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=4319144
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