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2016年11月23日14:44

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千葉大生逮捕 医学部長ら謝罪

千葉大生逮捕 医学部長ら謝罪
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4306838

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女性に集団で性的暴行をしたとして千葉大医学部5年の男子学生3人が逮捕された事件で、千葉大の渡辺誠理事と中山俊憲・医学部長が22日、記者会見し「誠に遺憾でおわび申し上げる。警察の捜査に全面的に協力していく」と謝罪した。副学部長をトップとする調査委員会を設置し、調査結果が出た後、学生らの処分を検討することも明らかにした。

 渡辺理事らは記者会見で「事件は報道で初めて知った。(容疑者や被害者が誰かは)特定できていない」と説明した。

 捜査関係者によると、3人は20代。9月下旬、千葉市内の飲食店のトイレで女子学生に乱暴した後、うち1人の自宅に連れて行き、性的暴行をしてけがをさせた疑いがあり、千葉県警に集団強姦(ごうかん)致傷容疑で21日に逮捕された。県警は「捜査に支障がある」などとして逮捕した事実を発表していない。【金森崇之、信田真由美】
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そろそろ、お詫びして終わりという風潮は終わりではないか、という話だ。慶応大学がただの殺人、レイプ養成所となって久しい。早稲田も確かそうであった。

これらの大学は(いまだノーベル賞のひとつも取れない劣等校だとしても)、それなりに日本国内限定で、ブランドで成り立っている大学である。

腐っても鯛の見本のような大学であって、そういう大学が、たかが明治時代のくそ野郎ども(実益重視)が成立させただけの話である。

しかし、そこはビジネスはビジネス。彼らが空虚なブランドの上に、どのような人間関係を作り上げ、どれだけの力を得てきたかは別の話なのである。

そういう大学において問題が発生したとき、彼らは謝罪する。しかし、謝罪はするが、では自分たちのブランドを失墜させた元凶の対して、どのような手段をとっているかは不明なのである。

非常に慎重に隠すことをしてきたし、問題がなかったことにして、自分たちのブランドや権威というものを守ろうとしてきた。

だが、時代はすでに、そういう状況にはないだろう。あっという間に、何年生の何学部のだれだれという情報が出回るときに、そのような対応では、生ぬるい、擁護していると取られても仕方ないのである。

つまり、どう謝罪するかではない。大学として、どうそれらの人に対してカウンターしてゆくかという問題になる。

刑事罰は刑事罰。それは社会的なものであって、大学がその問題、事件に対してどうアクションするかという話である。

大学として、きちんとこれらの犯人を厳しく追及すべきだろう。少なくとも大学のブランドイメージを失墜させた損害賠償請求はして当然であろう。

しかし、もちろん、それには問題がある。彼らは刑事法体系においてはまだ無罪の状態にある。新聞報道されようが、大学が退学にしようが、親が会社を辞める状況になろうとも、法体系上、これから争う。

江戸時代の裁判ではあるまいし、自白だけによる罰則は、憲法でも禁止されているのである。

自白偏重主義が明治以降も、この国を覆っているのは、これはもちろん、近代国家について学んできていないので仕方がない。それらの理想は、西洋でおきたものであって、その思想を体の髄にまで沁み込ませるのは難しい。

だが、無罪は無罪。推定無罪。仮に有罪であっても、次は冤罪という問題が起きる。はたして本当にレイプなのか、女学生の狂言ではないのか。お互いによってて実は記憶がなかったりしないのか。

そういう問題がある。テレビカメラにでも映っていればまだよいが、それだって、誰かがわざと撮影した可能性が捨てられない。

という状況で、裁判だって、なんとか落としどころを決めるのに、これはもう、真実二の次、とりあえず、お互いが納得する上で、というのが第一義な状況である。

果たして、そのような状況において、大学にどういう手段が取れるのだ、という問題がある。そこに答えはないだろうが、だからといって、もし有罪が確定し、そこに問題がない、となるころには、この事件はすでに忘却の彼方であろう。

被害者もせっかく生活を再建したのに、また蒸し返されるのかという問題もある。すると、大学としては、何もとれる手段がない。

そして謝罪で済ませておくか、という態度にならざる得ないのである。

つまり、その程度なのだ、今の大学の学問の程度というものは。


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