■「菌」「賠償金あるだろ」原発避難先でいじめ 生徒手記
(朝日新聞デジタル - 11月15日 19:16)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4294708
>>>>>
東京電力福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難してきた中学1年の男子生徒が、いじめを受けて不登校になった問題で、生徒の代理人弁護士が15日、生徒が書いた手記の一部を公開した。
手記は生徒が小学6年だった2015年7月に書いたもの。いじめで子どもが亡くなるという報道があることから、「多くの子どもたちにも少しでも励みになるのなら」と手記の公開を決心したという。
男子生徒と家族は震災後の11年8月に、福島県内から横浜市内に自主避難した。直後から「菌」と呼ばれるなど、複数の児童からいじめを受けたとされる。
「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられると思った。なにもていこうできなかった」。手記は当時をそう振り返っている。
14年5月ごろからは、加害児童から金銭を要求されるようになり、複数回、現金を渡したとされる。
「お金もってこいと言われたときすごいいらいらとくやしさがあったけど、ていこうするとまたいじめがはじまるとおもってなにもできずにただこわくてしょうがなかった」
>>>>>
こういうニュースを見るたびに思うことは、この国は起きる前に、それを防止しようとする圧力が強いことである。
この公表した人たちも同じことを繰り返したくないという思いだと書いてある。
それがこの国が長い時間をかけてきた問題への取り組み方なんだろうというのは理解できるのである。
この同じ過ちを繰り返さない、という考えは、当然ながら、道徳にもそういう形で反映されるし、それは教育の重要性としても認識される。
同時に社会全体は規制によって、防止する方向に流れるのも自明であろう。何かが起きる前に防止する。それには規制を掛けるのが最も有効である。
禁止する、認めない。そういう事で問題に対処するのが、この国らしいやり方であるのは、たぶん、伝統としても間違いないように思える。
馬鹿な小泉という政治家が、竹中平蔵という愚者に踊らされて、規制緩和がこの国を立て直すやり方であるという話に日本中が躍った。踊ったうちには自分も含まれるのである。
だが、日本らしさでいうなら、規制緩和には注意が必要なことは当然であろう。規制によって、社会の安定を図るという事は、逆に言えば、罰則については、全体責任で対応するという意味だからである。
だから重大事故であれ、なんであれ、基本的に個人に厳罰を与える事は少ない。規制で縛っていた以上、すべての責任を当事者に科すわけにはいかないからである。
という制度の中に、規制緩和が導入されたため、規制は緩い、罰則もぬるいという状態が生まれつつある。これはやったもん勝ちである、という話であって、
やったもん勝ちの世界では、その代わり、罰則が厳罰化すべきなのである。責任というものは、結果に対して取る。
いじめについてなら、やった人間の名前を公表し、それを監督すべき先生にも責任を負わす。必要ならば子供でも刑事罰の対象にするし、当然、親など、刑事、民事で徹底的に追及すべきなのである。
そういうやり方もあるという話だ。というか、そのどちらかしかない。事前に対応するか、事後に対応するか。そのどちらか以外はありえない。
だが、この手記を公表した人々は名前の公表もしていないのだろう。
孔子は「民免れて恥ずることなし」と言った。徳で治めよといった孔子の考えは前者である。法で治めよと言った韓非は後者の方針だろうと思う。
とにかく、こういう頑張った子供がこれからよくなりますように。
ログインしてコメントを確認・投稿する