先日電車に乗っていると、わたしの前に実に見ていても苦しくて気の毒なほど眉をひそめ、眼をいびつにした表情をした45,6歳の婦人がいるのです。表情というものは実に不思議なもので、こうしてその表情をまねしてみますと、その不快さが自分になんとなしにわかる。笑った顔をしてみるとなんとなく嬉しくなる。だから、なるべくわれわれは無理にでも眉を伸ばし、にこやかに笑うようにするがよいのであります。
笑うだけで老婆の子宮筋腫が治ってきたという実験談を中畑さんは発表されましたが、これは別にくわしく述べますが、この表情を明るくし、心を明るくするということは、あらゆる善行のなかで首位に置かるべきものなのでありますから、ぜひこの本をお読みになった機会にいっそう表情を明るくする修行にとりかかりたいものであります。
愛とか善とかいうことを人に「物」を与えることばかりだと考えているのはまちがいでありまして(欠乏している人に「物」を与えるということはむろん善いことですが)、それよりもなおいっそ大切なことがある。
これは明るい善い心の波動を人々に与えることであって、これはあらゆる善行のうちの王者であるとさえいえるのであります。だからキリストは断食するときも、「苦しい表情をするな。顔に紅(べに)をぬって朗らかな顔をしておれ」と教えているのです。
人に愉快な表情を与えて歩くということは、物を与えて歩くということよりもいっそう結構な愛他的行為だということになります。
どんな善人でも人々の欠点ばかりが眼について、それを慨嘆して不愉快の表情や叱咤を人の前へ振りまいて歩くというようなことでは、善人の資格のうちでもっと大切な資格が欠けていることになり、そういう家庭ではしじゅう病気などの不幸が絶えないようなことになるのです。
以上、谷口雅春「生命の実装」第3巻より。
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