確かに結構な数いるんですよ。
毛沢東やポル・ポト、ヒトラーは最高のアーティストだって言うのが
実際、中国では毛沢東は詩人として評価されています。
この日本工業大学の連中を擁護している人たちは、つまり。
![ぴかぴか(新しい)](https://img.mixi.net/img/emoji/66.gif)
人が死のうが私の芸術は私の芸術だ!
と、言うことが言いたいらしいですが、それで次にまたその作品で人が死んだのなら、それはただの殺人に使う道具でしかない訳ですね。
同時にその作者は、凄まじく向上心の無い人間と言うことになります。
人が死のうが美しいものは美しい。と、言う人がいますが。それは間接的に人を不幸にしたものがほとんどで、その作品が不幸にした訳ではない。
人が自分の作品で死ぬ事に共感する人たちのほとんどは、アナーキーな自分に酔っているだけに過ぎない訳ですよ。
実際私も、究極の芸術作品は死体である。と、言うのは共感出来て、多くのアーティストはそれまで動いていたものに近づけようとする訳です。
私も日本の生き人形は大好きですしね
平田郷陽 『粧ひ』
平田郷陽 『桜梅の少将』
その究極で、殺人を犯してしまう人もいるのがミステリーの世界ですが。
実際に人の死体を永久保存出来る技術はありますが、それで本当に殺人を犯してしまうアーティストはほとんどいない。
![危険・警告](https://img.mixi.net/img/emoji/219.gif)
なぜなら、それは醜い事と言う事が分かっているから。
おそらくこの事件現場で、カメラを構える人が多かったのは、人がその中で死んでしまうと言う、究極のアートを見せられていたからかもしれません。
実際、拷問具は美しいフォルムで装飾されているものが多いです。
現場にいた人の多くは禁忌を犯した快感が、そこにあったからなんでしょうね。
■神宮外苑火災「白熱電球使った」 LEDだけの予定変更
(朝日新聞デジタル - 11月07日 11:38)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4280068
しかし、その作品は人を殺すために作られた作品なんですか?違うでしょう。
それで人が死んでしまったのなら、その作品はそこで失敗作なんですよ。
その作品を完成させるためには、人が不幸にならないように仕上げなければ意味がない訳です。
つまりは今言われる現代アートと言うのは、凄まじく向上心の無い独りよがりな公開オナニーって事なんですよね。
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