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2016年11月07日01:25

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早稲田祭〜無限の自由

今日は特にやることがなかったので、2人のムスコを連れて早稲田大学の学園祭「早稲田祭」へ行ってきた。
近年、この時期、自分の母校を含めどっかしらの学園祭へ行くのだが、今年はちょうど暇な日と重なったため、初の早稲田祭を経験。
やっぱ天下の早稲田大学だなって感じで、人数の多さ、盛り上がり方、イベントのクオリティなどどれをとっても最高レベルだった。そういう意味ではわが母校の中央大学もヒケをとらないとは思うが、早稲田はなんというか、クオリティが高い。アカデミックとサブカルが程よくブレンドしていて、垢抜けている感じであった。
野外イベントは、企画モノから、バンド演奏、ダンス、三味線、アキバ系アイドルステージなどなど幅広く、教室イベントは、主に音楽サークルのライブを鑑賞したのだが、全国一ミュージシャンを輩出する早稲田だけあり、教室ライブの数も多くまた、それぞれがクオリティが高いと思った。

いろいろと回って疲れたので、どっかで休もうと思い、喫茶店やっているところを探した。パンフレットを見ると、教室で喫茶店をやっているところがあったので、行ってみたんだが、文芸サークルが開催しているところで、自費出版した本を買わなければ、ドリンクをサービスしないし座らせてもくれないというところ。
仕方なく、1冊300円の彼らの自費出版本を2冊買い、休憩とドリンクにありついたのだが、ペットボトルのジュースを紙コップ半分くらいしかくれない。
オイオイ、決して安くない300円の本を2冊も買ってやってそれはないだろーと思い、子供のジュースをもう1杯催促してみたんだが、「それはできないんですよー」だって。何のボッタクリだ、これ?パンフレットには、んなこと書いてないし。
半分頭来たので、子供たちがクルクル椅子でクルクル回って遊んでたんだけど、何も注意しなかった。もう好き勝手やれと思ったので。そしたら子供たち、サークル員のアンちゃんに注意されるし。
で、私の手元には、よくわからん早大生の素人が執筆した本が2冊残ったのであった。
パラパラと読んでみたが、はっきり言って、あれなら私のほうがよほど面白い小説を描けるわ。才能ないから趣味の世界に留めておきなさい、と思ったのでした。

大学の学園祭に行くたびに思うんだけど、大学の自由空間て素晴らしいものがある。
本来、学問はリベラル・アーツとはよく言ったもので、何の制約もなしに好きな勉強はいくらでも出来るし、部活動やサークル活動を通して、自分の趣味の選択肢もいくらでも広がる。
特に大学は人数が多いので、ないジャンルはないのではないかと思うくらい様々な部活やサークルが存在する。
真面目にスポーツをやりたければ大学の体育連盟(いわゆる体育会)の部へ所属すればいいし、学芸連盟、学術連盟などの大学から予算がでる研究会に加え、自主的に仲間を集めて活動する同好会、愛好会の類を含めれば、それこそ星の数ほど存在する。
映画、演劇、音楽、美術、ダンスなどから、車やバイク、古典芸能、武術、文芸、アイドルなど、自分の趣味が幅広く見つかる場所であり、その普段の活動の成果を、学園祭の場でギュっと凝縮する。
また、早稲田なんかは、頻繁にそれらのジャンルから有名なプロを輩出したりする。
私は、大学の時は音楽サークル(いわゆるバンドサークル)に所属していて、途中、他に浮気しかかったときもあったものの、結局最後までドップリその音楽サークルで過ごした。
まあその成果は、せいぜいカセットテープに自分の作った曲を収録して身内に配布した程度だが、何だかんだと楽しかったし、良い思い出だったと思う。
当時は、そんな自由空間を、思う存分享受していたし、この空間に永久にいれたらなあ、って思ってたものだ。あの頃、自由は無限にあり、その自由を享受する生き方こそ豊な人生なんだと信じて疑わなかった。

今はだいぶ考え方が変わった。
社会に出てからの経験が多くなるほどに、あまりに自由すぎると人間は混乱し、自己同一性を確立できないまま一生を終えるのかもしれない、と感じるようになる。
大学の自由空間は、とても楽しくその瞬間の幸福を享受できるのだが、人が生きるためには「どれかひとつ」を選択しなければならない。すなわちそれが「仕事」となるわけだ。
大学にある幅広い選択肢は、結局のところ、
あれもしたい、これもしたい、あれもいいな、これもいいな
と、やりたいことが際限なく広がっていく。
もし、1つの選択肢以外に見えなくするとしたら、体育会運動部のように閉鎖的にそれのみに没頭させるくらいしかない。
私が謳歌した無限の自由というのは、青臭い当時は「無限の自由発想ができる自由な自分を作り出した」と勘違いしていたが、実は、それが足枷となって、何事にも中途半端な終わらせ方しかできない人生を歩んでいる。
良い生き方というのは、特に職人文化の日本で生きていくには、「この道の達人」になることだと思うのだが、自由な空間は、その「達人道」をいとも簡単に奪ってしまう。
それよりも、「これしかない」人生のほうが、良いのではないか?
昔のように、世襲制で生まれたときからその職業の道へ行くことが決定付けられていれば、本人がその道を好きか嫌いかは別にして、早熟な時期からその道に専念することが出来る。

結局は、大学卒業後の人生というのは、束縛の連続なのだ。
就職、結婚、出産、育児・・・と続いていく人生。そして、その束縛の中でいかに自分を発揮していくか、こそが豊な人生である。
まあ、早稲田の学生諸君は賢いから、とっくにそんなことに気がついている上で、今の自由を謳歌しているんだと思うが、今日の早稲田祭にて、そんなことをツラツラと考えてしまった。
あの自由空間を出た20代後半から、今までの時間。
20年の歳月が流れて、やっと辿り着いた。

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