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2016年11月03日06:20

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人生初のマラソン大会。/宇野功芳の死。/

久しぶりにmixiに書きます。
明日は、文化の日だそうですが、自営業に定休日はなく、しかしちょっと遅くまで飲もうと思います。

以下、自己満足忘備録。

さて、わが日記読み返すと去年の年末の上岡俊之の第九で終わっている。(^^;)
で、気が付けば11月。
Facebookは時々、投稿していますけど。(「和田邦裕」で検索すればヒットします。)
和歌山で家業を継いで、毎日が多忙で、無我夢中でした。
「第九」の一楽章みたいな一年だったかなー。(笑)

とはいえ少しは、山に登ったり、クラシックのコンサートも行きました。

★★★★それと人生初、なんと和歌浦ジャズマラソン(11/23)に出ました。
10kmの部だったのですが、多忙で、本番10日前、ゼッケンが届いたとき、いよいよ練習スタート。
最初、近所の和歌山城を2周走った時は、ゼーゼーハーハー。
東京の頃、皇居2周していたので、10kmわけない、登山の10kmなどは楽勝なので、舐めていました。

ですが、苦心の末、本番3日前に和歌山城5周(10kmちょい)達成。
このトレーニング中の10日は、子供のように禁酒しました。(笑)
酒の席があっても、ウーロン茶でがまんしました。(人生初?(笑)
痩せているのですが、さらに痩せた方が、本番楽かな〜と思い。(笑)

ジムの友人も和歌山城練習につきあってくれ、感謝。
当日は、ジムの仲間7人と10km挑戦。Tシャツもお揃いでした。(笑)
僕はチーム中、3位。60分切れずに63分でした。
後半、大きな坂があり、心折られ、最後は「ゼーゼーハーハー!!!」でした。
ゴール直後のポカリが最高においしく、「王将」、無邪気な時間を過ごし、最高に幸せでした。
僕は「幸せってこういうものなんだなー、」としみじみしました。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
しかし大きいのは人生初の「体育会系賞状」をいただいたことです。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

子供時代も含めると絵や文章、数学、毛筆などは「賞状系」をいただきましたが、「体育会系」は人生初。
自慢ではないですが、体育は通信簿で「2か3」。
喘息で病弱、体育は「見学」が多く、また苦手からは逃げるという10代でした。(笑)
欠席が多く進学できないのでは?という学年もありました。

大学からはじめた登山で賞状はもらったことがないので、「人生初」かなーと。
エベレストでも登ると、Zertifikatみたいなものもらえるのでしょうけど。

***

そのこと「体育系で初の賞状や!」と89歳の祖母に言うと、
「お前は(文化理科図工系)賞状なんかもらったか?忘れたわ〜」との返事。
特に図工は全国?出品されたし(粘土と絵画)、大学の卒論は最優秀(ベタボメ 恥)だったのを祖母も喜んでくれたのに〜。
小学校の毛筆の受賞は祖母の指導のおかげだったのに。忘れたんかい!!!!!

まぁ、入院もせず89歳で隣で一人暮らしして、有り難い祖母なんですけど。(笑)
祖母の気力には頭が下がります。
うちは父方の祖母も隣の隣で、96歳で一人暮らしし、かつ乾物の小売りをやっています。
(近所では鉄人と呼ばれています。そのうち和歌山市から勲章をくれそうな気がします。w)

***

クラシックいえ、文系に話を戻すと、

★★★★★★★★★★

・「宇野功芳の死」

★★★★★★★★★★

がダントツ1位でした。
本当に以下は自己満足の文章というか整理されていない純粋な想いです。

それこそ10代の頃から文通し、一昨年の最後の大阪での第九演奏会も聴き、終演後、先生と奥様とお話ししました。
先生からは、Faxで「最後の演奏会だから是非来てください!」と東京出発前にFaxをいただきました。

先生の第九ではベストでしたし、僕自身批評家としての宇野さん、指揮者の朝比奈隆に10代に大きな影響を受けたからです。
いわば10代のアイドル。
宇野さんの『たてしな日記』が読みたくて、国会図書館から取り寄せ、学校さぼって市民図書館で書き写した日々。

それがなければ大学で哲学科に行くことはなかったし、ひいては東京やドイツに行くこともなかった。
大学ですばらしい友人や先生と出会うこともなかった。
マイナスも一杯あったけれど、人生というのは何という機縁なのだろう....。

宇野さんにとって、「ワルター」が転機だったように、「宇野さん」は、僕にとっても特別なポジションでした。

「大学入学おめでとう!」という独特の「青の万年筆で」手紙もいただいたことをよく覚えています。
封筒もいつものブルー!
東京に進学してからは、逆に哲学に埋没し、先生とはホールでお会いする程度。
一度、新座の自宅で音楽を聴かせていただきたかった。

わずかな悔いはありますが、最後の第九の演奏会(しかも大阪!)を聴けたこと、終演後に少しですが、迎えのホテルでお話しできたこと、は良かったです。
その時も「腰が痛いから申し訳ないが、横になりたい」と仰られたことを覚えています。
でもすこしでも演奏会の後、ゆっくりお話しできて、幸せでした。

演奏は第一楽章のセカンドヴァイオリン(強い!神秘的でない)と、第三楽章が印象に残っていて、

僕「先生はワルターが大好きということがよく分かりました。早いテンポで歌いぬきましたね!」
宇野(ニヤリと笑い)「聴き返すと(今までの演奏は)遅くって、かったるいんだね!」
僕「今までの先生の第九ではベストでした」
宇野「いやー、今まででベストじゃないと生きている意味がないじゃないですか!」
奥様「うひゃー、そうでなくちゃ!進歩してますねー!」

と和気あいあい、というかざっくばらんな会話。

「フィデリオ」についても奥様が「骨格がすばらしかったわー」と仰ったことが忘れられないです。
造形はクナ的で、デモーニッシュ、デフォルメ、悪魔的なトロンボーン!
(そのことをお伝えしたら笑っておられました。先生ご自身は「もっとまじめだよー」という気持ちだったのかもしれません)

椅子に腰をかけて演奏された姿もはじめてでした。
意気軒昂と一通りお話しされた後、「腰が痛いから横になりたい、」とお部屋に帰られました。
奈良に宿泊すると述べていた保延さんとともに先生にお辞儀しました。

今度、上京した際は、奥様にお礼をして、お墓詣りに行きたいです。

***

あとは、
・先月は、インバルのマーラー5番が以外に熱演で良かった。
(ただしオケの管楽器はプロとしてはNGレベル!)

・クラウドファンディングで、旧知の根本さんと19年ぶりに話しできたこと。
 これも宇野先生が接点なんだが、長くなるので割愛。
 宇野さん→福島さん→レーベンバッハ→根本さん、というライン。
 送られてきたDVDを見て涙、涙。演奏というより根本さんの人生への思い入れのようなもの。
 (書き出すと長くなるので割愛)
 僕は、彼が海老名市で英語の先生をしていたころからの文通し、ご自宅にも伺い、つらい時期にもお会いしました。

・和歌山でも音楽を聴ける環境が徐々に整ってきた。(ただしオケはない)

≪以下妄想≫

僕の夢は和歌山で「マーラー音楽祭」をやることだ。
LFJのように京阪神から集まるようなイベントにしたい。
オケは全部アマチュアでやりたい。

ゆくゆくはそれで、和歌山市の観光になるようなもの。(プチバイロイト? (笑)
僕はマーラーの交響曲、唯一、生で「8番」を聴いたことがない。
「生でしか伝えられないものがある」
それをベートーヴェンの第九か(これは和歌山で既にあり)、マーラーのコーラス付きの大編成を子供たちに聴かせてやりたい。
「大地の歌」をはじめて聴いた時の感動!

僕がはじめて「第九」を聴いた時、神々しいもの、圧倒的な迫力を感じた。
ふてくされ、学校をさぼって聴きに行った朝比奈のベートーヴェンやブルックナーは、
「世の中にこんなに輝かしいものがあるんだ。生きるって肯定的なんだ」と僕に理屈なく思わしめた。
宇野さんの『たてしな日記』の純粋さに打たれたのも同じだ。

あらためて、宇野さんのご冥福をお祈りします。
15 11

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