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2016年10月30日14:55

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(再)小学校時代の作文から



1.満州の大宮小学校についてこんな偶然が !!
2008年10月25日、津山市の妻の実家での法事で偶然、実家の嫁の洋子さんと満洲・鞍山市の大宮小学校の先輩後輩の関係にあることが分かり、ビックリしました。

それから、1ヶ月もたたない11月21日、またまた大宮小学校について不思議な偶然の一致がありました。それは11月17日〜19日に行われた鞍山会に妹の淳子が出席しました。
そして、会場で妹が大宮小学校発行「紀元2600年記念号」(昭和16年3月25日)を貰いました。それは、昭和16年度卒業生の作文集でした。

驚いたことには、その作文集には何と、私、瀬良幸男の書いた作文が掲載されていたのです。ビックリした妹は、そのコピーを私に送ってくれました。

何か強力な磁石があって、大宮小学校に関する不思議な偶然の一致を次から次へと引き寄せるのでしょうか?

まず、10月25日のこと妻の実家の嫁と私が、満州の大宮小学校の先輩後輩というありえない偶然があったばかりから、間もない11月21日、大宮小学校の作文集を受け取るという、これも、ありえない偶然が引き続いて起きたのでした。

2.大器晩成に向けて進行形か?
作文集には少年時代ともに学び遊んだ懐かしい連中の名前がいっぱい、当時の思い出にしばらく時間が経つのを忘れていました。
私の作文と、次に掲載していた丸山修二君の作文を紹介しますが、いろいろ考えさせられました。

<奉天に行った思い出>

6年男 瀬良幸男
12月29日は、ずっと前から植田君と約束していた、奉天に行く日である。
朝起きて、奉天に行く支度をしていると「瀬良君」と突然呼ぶ声がした。植田君である。
さあ、行こうと足を速めて駅に向かった。
汽車は9時38分である。約2時間して奉天についた。早速、三中井百貨店に行って軽飛行機を尋ねてみたが、ない。仕方がないので満蒙デパートに行ったが、ここにもない。がっかりしてしまった。
しかし石井君が丸八デパートにあると言ったことを思い出して、春日町の丸八を探したがなかなか見当たらない。とうとう或る店に行って尋ねたらすぐわかった。その時は本当に嬉しかった、すぐに行って模型飛行機を買って帰った。

<聖戦下の紀元2600年>
6年男 丸山修二
神武天皇が御東征の後、大和の橿原で御即位の礼を挙げられてから、紀元2600年に至るまでの長い間を振り返って見ますと、天皇方に弓を引いた者は皆、亡びています。
これは、天照大神の御神勅にある通りだと思います。官軍の将士たちが、天皇の御ために、国家のために、命を捨てて戦ったからだと私は思います。
元来、日本の国は、万世一系の天皇を上にいただき、臣民は、天皇を親のようにしたい奉り、天皇は人民を子のようにおいつくしみになって、君臣一体になっている国です。
昔、神武天皇が御東征されたのも平和のためですから、どれだけ平和を愛する国民であるかがわかります。
私は、世界が永遠の平和にたどり着く時が一刻も早く来るように祈りつつ2600年を終えました。


私の作文と丸山君の作文では、まさに月とスッポン、同じ小学校6年生の書いたものとは思えません。


作文集をともに読んでいた妻に、負け惜しみの気持ちを込めて問いました。
「私は大器晩成型かな?」
すると、
「そう。be + ing ね」
と家内が応えてくれました。

いまだ道遠し。大器晩成、
晩成をめざして現在進行形。頑張ってま〜す。




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