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2016年10月28日15:51
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【会報誌エッセイ】書籍紹介−マイ水族館番外編７３
私たちは、「種が進化する」のを当たり前のこととして受け入れています。しかし、「種」とは一体何なのでしょうか。「進化する」とは一体どういうことなのでしょうか。そもそも「種」や「進化」といった概念は、どのような考え方に根差しているのでしょうか。このような疑問に正面から取り組んでいるのが、今回紹介する二冊の本です。
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同じ著者によって書かれたこれら二冊の本は、「生物学の本」ではなく「生物学についての本」です。学問的には、科学哲学というジャンルに属します。議論は多岐に及んでおり、その全貌を紹介するのは私には無理なので、以下では私が興味を持ったトピックについて、本書の内容に即して私なりに整理してみようと思います。
系統樹思考と分類思考
「系統樹思考」に「分類思考」とは耳慣れない言葉ですが、言わんとしていることは難しくありません。系統樹思考は、さまざまな対象物を系譜関係で「つなぐ」ことによって体系化する方法、分類思考は、さまざまな対象物をいくつかのグループに「分ける」ことによって体系化する方法です。生物体系学は、これら二つの全く異なる体系化の方法を「車の両輪」として発展してきました。すなわち生物の進化や系譜関係を考える系統学と、生物の差異や多様性を解明する分類学です。
つなぐ系統樹思考＝系統学と、分ける分類思考＝分類学。この二つは互いに相容れるものではありません。著者は大胆にも、「系統樹思考と分類思考とは、なまじっか融和させようなどと考えないほうがいい」（『系統樹思考の世界』256ページ）と述べています。この見解は、「系統学と分類学の統合という『夢』は諦めよ」という著者のメッセージなのではないか。私はそんなふうに受け取りました。
系統学は科学的に正しいわけじゃない！？
系統学の学説――例えば「ヒトはサルから進化した」という学説――は、今の私たちには大変な説得力を持っています。しかし意外なことに、この学説は自然科学的な「正しさ」を持ちません。
自然科学では、学説の「正しさ」は、次の五つの基準を満たすかどうかによって判断されます。すなわち、�ヾ兒＿椎修�どうか、�⊆存害椎修�どうか、�Ｈ辛�可能かどうか、�ね渋�可能かどうか、�グ貳眠讐椎修�どうか、です。「ヒトはサルから進化した」という学説は、反復観察や再現実験によって実証されたわけではありませんし、そこからヒトの進化に関する予測や一般法則を導けるわけでもありません。「ヒトはサルから進化した」という学説は、自然科学的には「正しい」とは言えないのです。
学問の中には、自然科学的な「正しさ」を求めないものもあります。その代表格が歴史学です。歴史学の学説――例えば「邪馬台国は大和にあった」という学説――は、反復観察や再現実験によって実証できませんし、そこから邪馬台国の未来予測や一般法則を導くこともできません。したがってこの学説は、自然科学の「正しさ」に関する五つの基準を満たしません。ではなぜ、「邪馬台国は大和にあった」という学説が広く支持されているのでしょうか。それはこの学説が、今ある歴史資料から引き出すことのできる最も「良い」説明だからです。つまり歴史学は、「正しさ」を発見することを目指しているのではなく、与えられた証拠からより「良い」説明を導くことを目指しているのです。
生物の進化の系譜を考える系統学は、いわば生物の歴史学です。上で示したように、「ヒトはサルから進化した」という系統学の学説は、自然科学的に「正しい」とは言えません。しかしこの学説は、身体測定のデータや化石やDNAなど、今ある証拠から導くことのできる最も「良い」説明です。だから私たちは、この学説を支持することができるのです。系統学は、自然科学的な「正しさ」を追求する学問ではありません。歴史学的な「良さ」を追求する学問なのです。
系統学は、「正しさ」を求める自然科学ではなく、「良さ」を求める歴史学に属する。これはかなり衝撃的な主張だと思います。私はこの主張をとても「良い」ものだと考えるのですが、皆さんはいかがでしょうか。
・ヘッケルの系統樹（Wikipediaより）
・全生物を対象にした系統樹（Wikipediaより）
種は存在しない！？
「系統学は自然科学的な『正しさ』を持たない」とか「系統学は自然科学ではなく歴史学である」とかいった主張はかなりの驚きですが、それ以上に驚きなのは、「種は存在しない」という主張です。これは一体どういうことなのでしょうか。
分類学者は、「種」という概念をいかに定義するかに腐心してきました。最も一般的な定義は、雌雄の交配によって子孫を残せるかどうかを基準とする「生物学的種概念」です。しかしこの定義には、細菌や原生動物のように有性生殖をしない生物には適用できないという重大な欠点があります。もう一つ有力な定義として、生物の外観や解剖学的特徴を基準とする「形態的種概念」があります。現在記載されている種のほとんどは形態的種であり、化石生物は全て形態的種です。しかしこの定義にも、どのような形態的特徴を判断の基準とするかが明確ではないという大きな欠点があります。
これら二つの定義の他にも、生物集団の進化的なまとまりに基づく「進化的種概念」、生物集団が生態系の中で占める地位を基準とする「生態的種概念」、ある共通祖先からの由来関係に基づく「系統的種概念」など、現在では20を超える種概念が提唱されています。しかし、分類学者の間で完全に同意を得られるような種の定義は一つもありません。全ての生物の分類に適用可能な種概念は、実は「存在しない」のです。
近年では、「種」を「分類のための便宜的な道具」とみなす研究者が増えています。つまり、「種」は人為的な概念であり、自然界には「存在しない」というのです。ではなぜ、「種」という道具が必要なのでしょうか。それは人間の認知能力と深くかかわっています。
人間の大脳は、たくさんの対象物を一つ一つ覚えられるほど性能がよくありません。しかし人間には、雑多でばらばらな対象物を少数のグループに分類する能力、すなわち「分類思考」があります。分類思考は、人間が生まれながらに持っている認知カテゴリー化の性向の反映であると考えられています。人間は、この分類思考を働かせて初めて、対象物を認知できるのです。
「種」は分類思考が生み出した、人間が世界を認知するための道具です。人間が分類思考を働かせ、「これらは同じ種／違う種である」と認知して初めて「種」は姿を現すのであり、人間の認知に先立って「種」が存在するわけではありません。人間が対象物を「種」に分類しない限り、いかなる「種」もこの世に「存在し得ない」のです。
以上が「種は存在しない」の意味するところです。著者は、「「種」は、「分類される物」の側にあるのではなく、ほかならない「分類する者」の側にある」（『分類思考の世界』295ページ）と述べています。著者のこの指摘は慧眼だと思います。
・ヒト科分類図（C.ストリンガー・P.アンドリュース『人類進化大全』より）
演繹、帰納、アブダクション
推論の代表的なスタイルに、「演繹」と「帰納」があります。「演繹」は論理の積み重ねによって推論を行う方法であり、「帰納」は客観的なデータの積み重ねによって推論を行う方法です。自然科学は、論理によって演繹的に導かれた仮説を、反復観察や再現実験によって帰納的に証明する、という方法で「正しさ」を追求してきました。
しかし上で述べたように、歴史学や系統学では反復観察や再現実験ができませんし、論理的な予測や一般化もできません。つまり演繹と帰納という推論スタイルを用いることができないのです。では歴史学や系統学では、どのような方法で推論を行っているのでしょうか。それは「アブダクション」という第三の推論方法によってです。
アブダクションとは、手元にある証拠から「最良の説明を与える」推論方法です。演繹や帰納のように推論の「正しさ」を問うのではなく、今ある証拠のもとでどの推論が最も「良い」説明かを検討するのが、アブダクションなのです。
系統学では、アブダクションによって最良の系統樹を発見するための方法論が確立しています。『系統樹思考の世界』で解説されていますので、興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
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同じ著者によって書かれたこれら二冊の本は、「生物学の本」ではなく「生物学についての本」です。学問的には、科学哲学というジャンルに属します。議論は多岐に及んでおり、その全貌を紹介するのは私には無理なので、以下では私が興味を持ったトピックについて、本書の内容に即して私なりに整理してみようと思います。
系統樹思考と分類思考
「系統樹思考」に「分類思考」とは耳慣れない言葉ですが、言わんとしていることは難しくありません。系統樹思考は、さまざまな対象物を系譜関係で「つなぐ」ことによって体系化する方法、分類思考は、さまざまな対象物をいくつかのグループに「分ける」ことによって体系化する方法です。生物体系学は、これら二つの全く異なる体系化の方法を「車の両輪」として発展してきました。すなわち生物の進化や系譜関係を考える系統学と、生物の差異や多様性を解明する分類学です。
つなぐ系統樹思考＝系統学と、分ける分類思考＝分類学。この二つは互いに相容れるものではありません。著者は大胆にも、「系統樹思考と分類思考とは、なまじっか融和させようなどと考えないほうがいい」（『系統樹思考の世界』256ページ）と述べています。この見解は、「系統学と分類学の統合という『夢』は諦めよ」という著者のメッセージなのではないか。私はそんなふうに受け取りました。
系統学は科学的に正しいわけじゃない！？
系統学の学説――例えば「ヒトはサルから進化した」という学説――は、今の私たちには大変な説得力を持っています。しかし意外なことに、この学説は自然科学的な「正しさ」を持ちません。
自然科学では、学説の「正しさ」は、次の五つの基準を満たすかどうかによって判断されます。すなわち、�ヾ兒＿椎修�どうか、�⊆存害椎修�どうか、�Ｈ辛�可能かどうか、�ね渋�可能かどうか、�グ貳眠讐椎修�どうか、です。「ヒトはサルから進化した」という学説は、反復観察や再現実験によって実証されたわけではありませんし、そこからヒトの進化に関する予測や一般法則を導けるわけでもありません。「ヒトはサルから進化した」という学説は、自然科学的には「正しい」とは言えないのです。
学問の中には、自然科学的な「正しさ」を求めないものもあります。その代表格が歴史学です。歴史学の学説――例えば「邪馬台国は大和にあった」という学説――は、反復観察や再現実験によって実証できませんし、そこから邪馬台国の未来予測や一般法則を導くこともできません。したがってこの学説は、自然科学の「正しさ」に関する五つの基準を満たしません。ではなぜ、「邪馬台国は大和にあった」という学説が広く支持されているのでしょうか。それはこの学説が、今ある歴史資料から引き出すことのできる最も「良い」説明だからです。つまり歴史学は、「正しさ」を発見することを目指しているのではなく、与えられた証拠からより「良い」説明を導くことを目指しているのです。
生物の進化の系譜を考える系統学は、いわば生物の歴史学です。上で示したように、「ヒトはサルから進化した」という系統学の学説は、自然科学的に「正しい」とは言えません。しかしこの学説は、身体測定のデータや化石やDNAなど、今ある証拠から導くことのできる最も「良い」説明です。だから私たちは、この学説を支持することができるのです。系統学は、自然科学的な「正しさ」を追求する学問ではありません。歴史学的な「良さ」を追求する学問なのです。
系統学は、「正しさ」を求める自然科学ではなく、「良さ」を求める歴史学に属する。これはかなり衝撃的な主張だと思います。私はこの主張をとても「良い」ものだと考えるのですが、皆さんはいかがでしょうか。
・ヘッケルの系統樹（Wikipediaより）
・全生物を対象にした系統樹（Wikipediaより）
種は存在しない！？
「系統学は自然科学的な『正しさ』を持たない」とか「系統学は自然科学ではなく歴史学である」とかいった主張はかなりの驚きですが、それ以上に驚きなのは、「種は存在しない」という主張です。これは一体どういうことなのでしょうか。
分類学者は、「種」という概念をいかに定義するかに腐心してきました。最も一般的な定義は、雌雄の交配によって子孫を残せるかどうかを基準とする「生物学的種概念」です。しかしこの定義には、細菌や原生動物のように有性生殖をしない生物には適用できないという重大な欠点があります。もう一つ有力な定義として、生物の外観や解剖学的特徴を基準とする「形態的種概念」があります。現在記載されている種のほとんどは形態的種であり、化石生物は全て形態的種です。しかしこの定義にも、どのような形態的特徴を判断の基準とするかが明確ではないという大きな欠点があります。
これら二つの定義の他にも、生物集団の進化的なまとまりに基づく「進化的種概念」、生物集団が生態系の中で占める地位を基準とする「生態的種概念」、ある共通祖先からの由来関係に基づく「系統的種概念」など、現在では20を超える種概念が提唱されています。しかし、分類学者の間で完全に同意を得られるような種の定義は一つもありません。全ての生物の分類に適用可能な種概念は、実は「存在しない」のです。
近年では、「種」を「分類のための便宜的な道具」とみなす研究者が増えています。つまり、「種」は人為的な概念であり、自然界には「存在しない」というのです。ではなぜ、「種」という道具が必要なのでしょうか。それは人間の認知能力と深くかかわっています。
人間の大脳は、たくさんの対象物を一つ一つ覚えられるほど性能がよくありません。しかし人間には、雑多でばらばらな対象物を少数のグループに分類する能力、すなわち「分類思考」があります。分類思考は、人間が生まれながらに持っている認知カテゴリー化の性向の反映であると考えられています。人間は、この分類思考を働かせて初めて、対象物を認知できるのです。
「種」は分類思考が生み出した、人間が世界を認知するための道具です。人間が分類思考を働かせ、「これらは同じ種／違う種である」と認知して初めて「種」は姿を現すのであり、人間の認知に先立って「種」が存在するわけではありません。人間が対象物を「種」に分類しない限り、いかなる「種」もこの世に「存在し得ない」のです。
以上が「種は存在しない」の意味するところです。著者は、「「種」は、「分類される物」の側にあるのではなく、ほかならない「分類する者」の側にある」（『分類思考の世界』295ページ）と述べています。著者のこの指摘は慧眼だと思います。
・ヒト科分類図（C.ストリンガー・P.アンドリュース『人類進化大全』より）
演繹、帰納、アブダクション
推論の代表的なスタイルに、「演繹」と「帰納」があります。「演繹」は論理の積み重ねによって推論を行う方法であり、「帰納」は客観的なデータの積み重ねによって推論を行う方法です。自然科学は、論理によって演繹的に導かれた仮説を、反復観察や再現実験によって帰納的に証明する、という方法で「正しさ」を追求してきました。
しかし上で述べたように、歴史学や系統学では反復観察や再現実験ができませんし、論理的な予測や一般化もできません。つまり演繹と帰納という推論スタイルを用いることができないのです。では歴史学や系統学では、どのような方法で推論を行っているのでしょうか。それは「アブダクション」という第三の推論方法によってです。
アブダクションとは、手元にある証拠から「最良の説明を与える」推論方法です。演繹や帰納のように推論の「正しさ」を問うのではなく、今ある証拠のもとでどの推論が最も「良い」説明かを検討するのが、アブダクションなのです。
系統学では、アブダクションによって最良の系統樹を発見するための方法論が確立しています。『系統樹思考の世界』で解説されていますので、興味のある方はぜひ読んでみて下さい。
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