とりあえず、「子供の貧困」 という、どちらも助けてあげたくなるワードで同情を誘うのは辞めて頂きたい。
■ 経済的な理由?
「学習塾に通わせられなかった」
「習い事に通わせられなかった」
いやいや。普通に小中高と学校に行って、きちんと勉強していれば塾なんて行かなくても、平均的な学力は努力と姿勢で何とでもなるでしょ。
そう言うと、「今は良い大学を出ないと就職難」という屁理屈を言われる事がある。
だが、更に上を目指したいのはその人の勝手。その為にお金が必要だが、我が家には無いというのであれば、諦めるか、バイトで稼ぐか、基本の小中高、図書館などで頑張るか、だ。
その何れもしたくない、できないというなら、他人の金で進学してもロクに勉強はしないのは想像に難くない。何故なら、その時点で 『他力本願』 でしかないからだ。
■ 相対的?絶対的?
「食費を切り詰めた」
「国民健康保険料の支払いが滞ったことがある」
それってもう絶対的貧困レベルじゃないですかね?相対的貧困はあまりにもラインがグレー過ぎてはっきりしないことこの上ない。
確かに本当に保護すべき人達はいると思う。
しかし生活保護にも言える事だが、どうにも楽して過ごそうとする人達の影がチラチラしていて一概に 「はい、そうですね」 とは言えないものがある。
以前の貧困女子高生問題では、本人が努力もせず、嘘までついて貧困を装い、進学できない理由に「貧困だからと言って夢を諦めさせないでほしい」などど支援を呼びかける酷い醜態な件があった。
その時も 「貧困の家庭は趣味を持ってはいけないのか」 などという論点ずらしが多発した。
生活保護者のパチンコ問題も同じだが、どちらにも言える事は “程度” というものだ。
生活保護者だって娯楽は認められるべきだという主張は分かる。
しかしそれが、受給したお金の殆どをパチンコに使って働こうとしてない人と、月に一度3000円だけとし、しかもバイトはしている人では意味合いが異なる。
貧困JKも趣味にお金を使ってもいいが、ライブに舞台に映画に外食に趣味に散財しておいて、お金が無くて進学できないので支援してくれ、は違うだろうという事だ。
やるべきことをやって、その上で本人たちではどうにもならない問題であるなら相談してくれてもいいが、基本的には資本主義の国である以上、その貧困は自分達の選択の結果でしかないのだから、まずは自分で何とかする努力をすべきだと思う。
とりあえず、みんなで弱い立場の人を助けようと言う姿勢は必要だと思う。
自分だっていつそちら側に立つか分からない。
災害の時に助けて貰った時のありがたさは筆舌に尽くしがたい。
しかし、本当の貧困ならともかく、判断基準が曖昧過ぎて貧困女子高生のようなパターンも多々あると思う。そういう意味では支援するならば、もっと明確なラインを決めてからの方がいいと思う。
どうしても貧困をなくしたいというなら、そういう人はもう共産主義を目指したらいいんじゃないかな?
子ども貧困 大阪市が実態調査
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4218562
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