トラインの翻訳書・吉田利子氏「人生の扉を開く魔法の鍵」より。
とある谷間に池があって、山の中腹の尽きることのない水源からこんこんと水が流れ込んでいる。谷間の池は山の中腹の大きな水源から流れてくる水を受け取っている。小さな池の水は大きな水源の水と本質的には同じだ。ただし、違いはある。山の中腹の水源は水の量ということでいえば谷間の池よりはるかに豊かで、谷間の無数の池に水を送ってもなお涸れることがない。
人間の生命も同じである。わたしたちはそれぞれ違いがあっても、すべての背後には「無限の生命のスピリット」・・・・・すなわち、すべての生命そのものがあって、そこからすべてが生じているのだから、個々の人間の生命は、わたしの生命もあなたの生命もその「無限の源」から流れ出す聖なる流れにちがいない。
それならば個々の人間に流れ込む生命は本質的に「無限の生命のスピリット」と同じものである。ただし、両者に違いはある。それは、本質的な違いではなく、程度の違いなのだ。
そうだとすれば、人間が自分を開いて聖なる流れを受け入れる度合いに応じて、神に近づくのではないだろうか。さらに、そのようにして神に近づくならば、それだけ神の力を受け取ることになる。神の力には限りがないとすれば、人間の限界は自分自身を知らないために自分で自分に課したものということになるのではないだろうか。
わたしたちの人生にとって中心的な偉大な事実とは、わたしたちがこの「無限の生命」とひとつであることに気づき、肝に銘じて、充分に自分を開いて聖なる流れを受け入れることである。これが人生の偉大な中心的な事実であり、すべてはここに含まれるし、すべてはここから始まる。
どこまで意識して「無限の生命」とひとつになれるか。この聖なる流れにどこまで自分を開けるか、その度合いに応じて、わたしたちは自分のなかにある「無限の生命」の力を実現することができる。
かつて世界の歴史に現れたすべての預言者や賢者、救世主たちがそうしたように、わたしたちも真の自分を認識し、偉大なる法則や力と調和した暮らしをして、偉大なるインスピレーションに向かって自分を開くということである。
このことを認識し、自分自身を「無限の源」と結びつける度合いに応じて、より偉大な力がわたしたちを通じて働き、作用し、目に見えるかたちで現れるようになる
わたしたちは、多くの人がそうなのだが、無知によってその偉大な力に自分を閉ざし続け、本来は人間に与えられている力を自ら投げ捨ててしまうことである。
そうではなくて真の自分自身と「無限の生命」とがほんとうにひとつになり、自分を充分に開いて聖なる流れを受け入れ、偉大な力やインスピレーションの働きを促し、「神の人(ゴッドマン)」に真にふさわしい存在になることである。
では、「神の人」とはどのような人なのだろうか? それは、人間であっても、その人を通じて神の力が現れる、そういう人のことだ。ほとんどの人は、無知によって、小さく委縮した暮らしを続けている。それもみな、本来与えられているもっと大きな生命(人生)を知らないからだ。
わたしたちが自分をただの人間だと考えて生きている限り、人間としての力しか持つことはできない。自分が「神の人」であることに気づき、そのとおりに生きれば、わたしたちは「神の人」のパワーをもつことになる。この聖なる流れに自分を開く度合いに応じて、わたしたちはあの人間から「神の人」へと変化するのだ。
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