サッカーのセルジオ越後が、こう言ってたんだよ。
「サッカー人口が増えるのは喜ばしいことだ。やらせてみなければ才能は解らない。やる人が増えるほど、我々は有能な者を見つけ出せるからね」
なにかになりたいと願う者たちは、夢を頭に思い描く。
だがその中から「才を拾い上げる者達」は、「才能は確率である」とシビアに確信しているのだ(セルジオ越後しか例に出してないが、他も同じだよ)
技術であれば、学べば誰でも見につくよ。速度と練度を度外視すれば、一回で同じ技を身につける。手品がはっきりとそうだ。わかるだろう?
しかし才能・センス、はさ…真似が利かないのだ。それは人生そのものでもあり、遺伝子でもあるし、運命そのものかも知れないし、それら全部を混ぜこぜにしたものかも知れないんだ。
ためしにやってみればいい。羽生結弦と同じトレーニングを。君はトリプルアクセルを何年で出来るようになるかな?
俺はただ「人を見たままに描く」ことだけをしたいのに、もう10年もかけているのだが未だに出来ない。
人ってそういうものだよ。違うかな?
■「あきらめなければ夢は叶う」という考えはアリ? ナシ?
(TOKYO FM + - 08月24日 12:10)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=257&from=diary&id=4157946
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